業界の実際

●太い糸で縫え!

縫製に使う糸には色々な太さがある。
○○番という表現(番手)の場合は数字が小さいほど太い。
スキーウエアは水にぬれる機会が多いのと強度が要求されるということでポリエステルやナイロンの糸を使う。
90年頃の状況で言えば、太さはメインの箇所で40番から30番程度の太さが使われていた。

それが94年頃からだろうか、スキーウエアのトレンドが何でもかんでも太くなる傾向を見せ始めた。
アウトラインもたっぷりした全体に大きいものになり、ファスナーも太くなり、ボタンまで大きくなる始末。
さらに表に見える縫い糸もどんどん太くなっていった時代があった。
スキーウエアの流行はヨーロッパから出てくるものが多く、これもそうした流れのひとつであった。

一時の柄物全盛の傾向も収まりを見せ始め、次なる見せ場としてファスナーだのボタンだの糸だのといった要素が主張を始めたということなのだ。
日本のメーカーは規格化が進んでいて、品質の一定なものを大量に作る能力に長けているが、規格から外れるものになるととたんに作るのが難しくなる傾向にあった。
こういった材料に関してヨーロッパのメーカーは多様な見せ方が実にうまい。
こんなものまで作るのか!?というものがたくさんあったのを覚えている。
やはり洋服のルーツはヨーロッパにあり、歴史の重みを感じたものだ。
その傾向が日本にも波及し、規格から外れるものの日本の材料メーカーもがんばって作り始めたのであった。

しかし、縫い糸に関しては単純にいかない。
糸はあってもミシンを対応させなければならないのだ。
それまでの太さの糸に対応したミシン針では、あまりに太い糸は通らない。
さらに糸の太さが変わるとミシンの糸のテンション調整も変わってくる。
この調整が決まらないと縫うことはできない。
これに先立つこと二年ほど前に20番を試験的に使っただけで騒ぎになったのに、これがエスカレートして最終的には8番とか4番、0番までいってしまった。
もう見た目はタコ糸である。

さらにジグザグに縫う千鳥ミシンが出てくるにおよび、縫製糸やミシンの問題は全社プロジェクトとなり、関連工場のミシン設備の更新という大仕事になったのであった。
そんな中、私を含め企画にいた数人に対し「ドイツまで行ってミシンの展示会を見て来い」という指示が出た。
インターナショナルミシンショーというやつである。
これは縫製業界の最先端の機器が出展されるもので、ミシンと名のつくものは何でもあるし、コンピュータ制御の装置でパターンデータからすぐに素材が裁断されたりするようなCAD、CAMの機器があったりした。
ウエアだけでなくバッグやシューズなどとにかくミシンを使う業態は全て網羅していた。
縫製開発部門の部長についていく格好で必死に見て回ったが、正直自分がそんなに役に立っているとは思えなかった。
それだけ専門性の高い分野だったわけである。
出展者から見れば、怪しげな東洋人の若造がうろうろしていたように写ったことだろう。

このように縫製に極端に凝ったメーカーは元々縫製業者であったG社とそれに負けじと設備導入したP社の2社であった。
ほかのメーカーはもっと慎重であったように思う。
案の定3、4年のうちに太い糸も千鳥ミシンもほとんど使われることがなくなってしまった。
すぐに時代は変わり「さりげなく縫われている」のがトレンドになってしまったのだ。
あのミシン設備は今どこにあるのだろうか…

●信者の広場に書き込まれた「ささ」氏の思い出話

4番糸用の千鳥ミシンと釜ですが、私がKAPPA担当になり、今は亡き新潟の工場に出入りしていた頃(5,6年前?)には、まだ倉庫に山積みされてました。
P社は工場にミシンや釜を購入させたわけで、トレンドが変わり30番に戻った頃には負の遺産として各工場を苦しめておりました。
当時のS部長も随分詰め寄られていたっけ。
あ、「パッカリング」なんて言葉を思い出した!糸が太くて生地が負けてしまうから、縫い目が寄ってしわしわになるんですよね。
海外の工場ではたたきつけのフラップとかは、パーツの段階でパターンと寸法が違ってたな…。フォー!

注:「釜」=ミシンの下糸の巻かれたボビンを収納する部品、下部に格納されていて縫製時には回転しながら下糸を上糸にからめる働きをする。
糸の太さが極端に変わるとこの「釜」自体のサイズも変えなければならない。(by教祖)

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