業界の実際

●売れたものの後継商品

今の状況からは信じられないだろうが、景気の良かった時代は売れたウエアの数はものすごいもので、よく「万品番」などと呼んだものだ。
文字通り一万枚を超える品番というものがいくつもあった。
これだけ売れると次の年もその後継商品が要求される。
また、他社から類似の商品が発表されることもよくあった。
この辺は自動車の場合と似通っている。
(例えば、ストリームとウイッシュ、エルグランドとアルファード、フィットとヴィッツなど)

難しいのは、まったく同じではダメなのに明らかに前年モデルの特徴を備えていなければならない。
「去年のあのウエアを見て欲しいなあと思った人が買いたくなり、お店の人が去年と違う発展したものだよと思える」という評価を獲得しろというのだ。
どこをどのくらい変えていくかでいつも揉めていた。
それまで兆候もなかったのにいきなりブレイクすると、どこが良かったのか判断がつかないことがあった。
人間が人の顔を認識するとき、顔のどの部分を見ているかは個人差があるという話を聞いたことがある。
親子親戚で顔が似ているという話をしていると、結構似ていると思っている部分が人によって違ったりするが、ウエアに関しても同じような現象が起こるのだ。
しかも大ヒットした商品ほど良い点が多いので意見が割れることが高い。

時代が平成になってすぐの頃、ユーゴスラビア人(当時、現スロベニア)のB.クリジャイをプロモーションキャラクターに使ったウエアが大ヒットした。
立派な「万品番」である。
その直前、コンペウエア(競技用ウエア)が良く売れていて普通のスキーヤーまで欲しがっているというような話があり、コンペウエアをより一般向けにアレンジして作られたものだ。
特徴はざっと言うとこうである。
上半身は身体が大きく見えるジャケットで白をベースとした切りかえデザインにし、下半身は黒ベースでひざにポイントの入ったデモパンをはくことを提案していた。

売れた初年度は競合商品はひとつもなかったので業界内ひとり勝ち状態であったが、二年目は他社が類似デザインを出してくることが予想された。
そんな中でどこをどのくらい変えるべきかで社内は紛糾、担当デザイナーは困ってしまって企画部門全体の会議にかけられることとなった。
全体会議では意見がまとまらないのが分かったため社長の判断で、
「ここにいる企画の人間がひとつずつデザインを描いて、営業担当も含めて全員で一番格好の良いと思うものに投票しろ」
という方法が取られた。
まあ乱暴なのか民主的なのか…どちらにせよ異例のやり方であったのは間違いない。
投票の結果は、私が出したデザインラインをベースに担当デザイナーがアレンジすることになったと記憶している。
デザインラインは結局前年度の特徴を残してよく見ると多少異なっているという感じであった。
当時私は入社したばかりでデザインの担当ではなかったが、ずいぶんすごいことをする会社だなあ、と思ったものだ。

さてデザインラインとは別に、カラーリングの方は社内統一のトレンド分析があってその方向で変化が加えられた。
前年は純粋な黒を使っていたが、これが紺(ネイビーブルー)になっていくという仮定のもとに色が選定されたのだ。
紺を使ったことに対してはおそらく販売店からは賛否両論あったのではないかと思う。
とはいえ、前年モデルほどでないにせよそれなりの数が売れた。
懸念された他社からの競合商品はやはり現れて、G社からはかなり類似度の高いものが発表された。
G社はそのルーツが縫製業者(正確にはニット業)なので、生産性に関しては強く配慮された製品が多い。要領よく作られているのである。
私も当然G社の競合商品を見たが、P社のものを作りやすいようにアレンジしたというイメージであった。
カラーリングはほぼP社初年度そのもので、二年目のP社が紺でいったのに対してG社は普通に黒を使っていた。
結果論で言えば、紺が本格的に流行るのはさらに2、3年後のことで、G社に結構シェアを食われたのは事実である。
この例だけでなく、売れた実績のある商品の後継品や対抗商品には同じような話が多い。

しかし、同じ路線でいけるのも3年が限度でそれ以降は大幅な路線変更を余儀なくされる。
困るのは「○○モデル」というような固有の商品群として確立してしまったものである。
「○○モデル」などとついているとプロモーション用にスキーヤーや有名人と契約していることが多いのでそっちの事情もあったりもする。
社内の営業部門も販売店もその商品群を買う客層というものを想定しており、そこに「○○モデル」という名前がくっついてしまっているのだ。
その想定から、実際の客層の嗜好が変化してしまうと実に悲惨なことになる。
何事も引き際が肝心であった。

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