●社員旅行 |
かつて某P社にも社員旅行というものがあった。 スキーのビジネスも一段落する2月(当時の話)に往路は夜行バス・復路は電車で志賀高原2泊3日の日程。 志賀高原なので、基本的にスキーを滑りまくる。 平均年齢が若かったスポーツ業界でスキーに行く社員旅行だから、さらに年齢層は若くなる。(実際、4、5年経つと参加しなくなる社員が多かった) 学生時代の(悪)ノリ全開に近い状況になるのだ。 <前夜> まず出発前、バスには大量の酒が運び込まれる。 バスが走りだすと、「プシュ!」「プシュ!」と缶をあける音が次々と聞こえてくる。 酒盛りの始まりである。 志賀高原到着は翌日早朝。時間は充分ある。 皆、眠くなり起きていられなくなるまで飲みまくるのだ。 その時代は、まだ上信越道もなかったので、関越道で群馬まで、あとは下道18号線をひたすら走っていた。 そう、「私をスキーにつれてって」で冒頭スキーに行くシーンと同じルートである。 <1日目> 朝、宿につくと荷物を運び込み早速着替えてゲレンデに出ていく。 数人ずつのグループごとに自由に滑りまくるのだ。 グループ編成は出来るだけ違う部署の人たちを組み合わせていたと記憶している。 他にも社内のスポーツ行事はいくつかあり、現在より他部署の人間と交流する機会ははるかに多く、社員の一体感は非常に強かった。 さて、そのようにグループ編成を行うと、当然スキーのレベルもバラついている。 グループ内の上級者が初中級者にどれだけ配慮できるかが、そのグループの空気を決定する。 初級者に教えてほしいと言われたときには、「見て盗め!」と言い残して滑り去るようなことは間違ってもあってはならない。 逆にポケットにキャンデーやチョコレートをしのばせておいて、寒いときに配れば(特に女性には)好感度アップも期待できるのだ。 実際、女性社員が「△■部長って、良い人に見えちゃいました。」というのを聞いたことがある 2日目は恒例のスキー大会が行われるが、レース前夜はワックスの選択など結構ピリピリしている人もいた。 「明日はワックスどれがいいかねぇ?」 「今日と雪質は変わらないようだから、○○でいいんじゃない?」 くらいのやりとりが普通であったが、とある年の新入社員は 「どうして教えるんですか?当然ライバルには秘密です」 と言って、私を含めその場にいた人間を驚かせた。 他にも、誰は最新の○○スキーを用意しているとか、2台持ち込んでいるとか、メインで使っていた板を曲げちゃったとか…情報が飛び交ったりするのである。 私など普段家で思いっきりワクシングできないので、ゆったり場所も使える機会にやっておこうと思ってやったものだ。 すると、社内の先輩方が自分の板を指差して、「お〜い、〇〇(私のこと)、俺のも頼むヨ」とおっしゃる。 所属部署の上長(のまた上長)だったりすると、まあにこやかにお受けするのだ。 しかし… 「おう!たのむヨ!」だけの方と、「たのむヨ!ビールおごるよ!」という方と… 仕上がりに差が出てくるは当然と言えよう。 <2日目> スキー大会当日。 会場はどこかというと、前期は志賀高原でも比較的空いている寺子屋、後期は奥志賀であった。 種目は大回転。レース自体は初級者も滑るので、タイムはラップで30秒台の長さ。 セットの難易度もそんなに難しいものにはしない。 最後の2年は2本勝負であったと記憶している。 当然、技術差があるのでS(特選)組、A(上級)組、B(初・中級)組の3クラスに分けて行われる。 2年目以上の人間は前年の実績から割り振られるが、新人は基本的に自己申告となる。 ただ、学生時代スキー部経験者と雪国出身者は自動的にS組になる。 ここでの勝ち負けは社内では、その後一年間話のネタになるのでライバル関係にある人たちは真剣である。 私が会社に入った頃は、アウターウエアを脱いでセーター姿(!)になるだけで、「おっ!気合入ってるね!」といわれたものだが、一般の草レースでもワンピが普及してく ると、当然上位を狙う層は全員ワンピになった。 会社にあるワンピの貸出しもあったと記憶している。 スタート前もライバル同士プレッシャーの掛け合いなど心理戦(?)を展開する光景も繰り広げられる。 最後となった97年のレース。前夜、ワックスの内容は秘密と言っていた新人君は当時はまだ珍しかったヘルメットを一人用意していた。 「メットかぶるの?」といわれて、彼は「気合です。当然(優勝を)狙っています」と豪語していた。 レース終了後、声をかけると彼は「井の中の蛙でした」と言った。 タイムで上位を狙わない層は当然仮装に走る。 いろいろ趣向を凝らした仮装があったが、一時期「身につけるものを最小限にする」人間がいた。 「それ自体仮装といえるか?」という問題もあったが、それ以前に「そのような格好で公衆の面前に出て良いのか?」ということが問われた。 実際、「最小限仮装」の選手がゴールで転倒し、レースの模様を撮影していたビデオには公の場では上映できないシーンがあったという。 その後、スキー大会仮装の部では「下品なものは禁止」というルールが付け加えられたことはいうまでもない。 夜は(夜も?)果てしなく酒が消費された。 なにしろ箱単位で酒が用意してあるのだ。 夕食後ゲーム大会など催されたが、一部の人間は既に良い気分。 ゲーム後は「打ち上げ」というノリですさまじい飲み会になり様々な悲喜劇が起こった。(くわしく記載できないことも含め) 私も宿の廊下で寝ていたことがある。 <3日目> 午前中は朝から二日酔いでゲレンデに出るか、おとなしく温泉につかるか好きに過ごす。 意外に二日酔いで滑るのも風がさわやかで気持ちよかったのを覚えている。 昼に志賀高原を出発、バスで長野駅に向かう。 この車中は皆おとなしく寝ていたりするが、燃え尽きたというよりも次なる宴に向けての充電なのである。 この時代はまだ長野新幹線もなかったので、長野駅からは在来線の特急列車であった。 列車に乗るまで約1時間、この間買い込むモノといえばお土産もそうなのだが、最後の酒もまた調達される。 乗ってしまえば2、3時間は宴タイム。 指定席で一両は貸しきり状態になるので、宴希望者はそこに座る。 一番凄かった年は、いきなり車内販売のカートのビールを全て買占め。(おねえさんのきょとんとした顔が懐かしい) 列車の床はビールでビショビショ。 先輩に○×しろといわれた新人君が■を△●して…「車掌がきた!まずい!隠れろ!」とか言われたりして。 そこまで騒いでおいて、列車を降りてからも飲みに行った人もいたというから、若かったのかもしれない。 翌日は普通に仕事なのである。 97年を最後に社員旅行は行われなくなった。 98年の長野五輪で忙しいとか名目があったかもしれないが、景気悪化の影響であろうことは明らかだった。 今では正社員比率も低くなり、同じような旅行はやろうにも再現不可能であろう。 世の中変わってしまったのだ。 |
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