業界の実際

●志賀高原ワールドカップ狂乱販売会

長野オリンピックの前年、97年にプレオリンピックということで志賀高原でスキーのワールドカップが開催された。
種目は男子のGS(東館山)、SL(焼額山)でオリンピック本番コースがそのまま使用された。
週末土曜がGS、日曜がSLである。
私は、スキーオタクの松氏とsakanaya氏とともにこのレースの観戦に向かったのだった。

土曜日の朝一のことだ。我々はいきなり衝撃的な光景を目撃する。
この時、高天ヶ原のゲレンデ向かいの宿にいたのだが、窓からゲレンデを見ていた松氏が…
「おお!すげっ!」「おお!すげっ!」「早い!早い!」
と意味不明な言葉を発したのである。

「一体全体何が起きたんですか…」
私とsakanaya氏がゲレンデを見るとポールセットを何人かの選手が滑っている。
GSのレースが行われる東館山の裏側が高天ヶ原でそこにアップバーンがセットされていたのだ。
これが遠くて豆粒くらいにしか見えないのだが明らかに早い!
「これはすごい!」というわけでもっと近くに寄って見てみようということになった。
近寄ってもっとびっくり。
スキーをずらすものなどいないのは当然として、ラインがほとんど一定なのだ。
全員10cm以内の幅で同一ラインを通過していた。
しかもその音がすごかった。
すーっとカービングしてきて、途中「ザリザリ」「ガリガリ」というようなずらす音は全く無いのに、ポールに当たると「ボスッ」と低音が響く。
さてアップバーンで驚いてばかりもいられない。
本番のレースを見に行くのだ。

途中にP社選手対策担当の面々がWCオリジナルのお土産品を販売していた。
「がんばってねー」などと声をかけた。こちらは自腹、プライベートなのだ。

一本目は途中の踊り場の箇所で見たがどうもいまひとつだ…ということで、二本目はゴールエリアから見上げようということになった。
これが大正解で、東館山のコースは最後ゴール前の急斜面にどのくらいの勢いで入ってくるかがが見ものなのである。
さて、一本目と二本目の間は多少時間があくが、この間観客はやることも無いのでお土産品の買い物などにやってくる。
天気が良かったこともあって、歩き回っていたお客が結構P社テントに集まってきた。
我々もちょっと覘くつもりが思いっきり手伝ってしまった。

さて、二本目の滑りをゴールエリアから見ていた我々だが、みな度肝を抜かれたのが二位に入ったアンドレアス・シフェラーであった。
優勝はグリュニーゲンで確かに破綻の無いきれいなすべりだったが、シフェラーはゴール前の急斜面に誰よりも急角度で飛び込んできた。
そのままスキートップをねじ込むようにゲートをクリアしていった。
しかも誰よりもポールぎりぎりを通過するという実にスリリングな滑りであった。

「いやあ、すげえなあ…」などと話していると、傍らの道をキャタピラの小型トラックがカラカラと進んでいた。
数人も乗れば一杯になってしまうそのトラックに乗っていたのは優勝者のグリュニーゲンであった。
表彰に向かうところだったのか(うろ覚え)、ゴール地点からやや標高の高いところに行かなければならないのだが、ちょうど良いリフトも無く、通路はスキーで滑るようになっていて車も使えないということでこういうやり方になったようだ。

翌日、日曜の朝はどんより曇り空で小雪がちらつく天気であった。
SLには当時好調だった木村公宣選手が出場ということでいやがうえにも期待感は高まる。
このレースが行われた焼額山のコースは実は世界でもトップクラスの急斜面らしい。要するに水平移動距離に対して標高差がものすごく大きいのだ。
普通の営業をしているときに私も滑ったことがあるが確かに急斜面であった。
また、ゴールエリアから見上げると7割ほどは見ることができる、観客にとってもエキサイティングなコースである。

このレースが結構すごい展開で、急斜面な上に難易度の高いセットがたてられコースアウト続出となり、一体誰が勝つのか?予測がつかないという状態であった。
一本目はノルウェーのフルセトがトップで木村公宣が失敗しながらも8位につけた。

さあどうなるのかと始まった二本目だが…
各選手勝負をかけてアタックしてくる中、公宣も抑えることなく攻めてゴールした時点でトップタイム。
当然、会場はどよめく。(おおおお…)
公宣は一本目8位だったのでその後上位7人が次々と滑ってくる。
一本目7位のフォグレイターは片反。
6位のアミエはタイムが伸びず公宣を抜けない。
5位のヤッゲがやっと公宣を上回った。
4位のマリオ・レイターは転倒!またまた会場がどよめく。(どおおおおおお…)
3位のスチャンセンも失敗が響いて公宣を抜けなかった。またまたどよめき。(どおおおおおお……!)
2位のスタンガッシンガーは憎らしいほど、正確で冷静な滑りでトップをうばった。会場ため息。(ふううう……)
そして、一本目1位のフルセトである。
なんといきなり片手を雪面に着ける痛恨のミス!!
ゴールエリアからは見えなかったが、場内アナウンスの松宮アナ(故人)が「フルセト転倒、旗門不通過か!?」といったとたん、会場中が狂ったようなどよめき。(ぬおおおおおおお!!!!!!)
結局フルセトはその後驚異のリカバリーを見せ、旗門も通過していると判定され3位になった。
このレース、勝者はスタンガッシンガー。
だが、2位はヤッゲ(ノルウェー)3位がフルセト(ノルウェー)、そして当時自己最高の4位になった木村公宣(ウエアP社)ということになり、表彰台にずらりとP社のウエアが並ぶこととなった。
この結果にP社の社長もご満悦であったことだろう。

木村公宣選手があと一歩で表彰台という展開で感情のヒートアップした観客が、今度はP社の出張販売テントに押し寄せてきたのだ。
「仕事」で販売に来ていたのは、確か3人しかいなかった。
もう「てんてこまい」を通り越して危険な状態になっていた。
ここは黙って見過ごすわけには行かない。
私達三人は戦場のような販売現場に飛び込んでいったのである。

このときに用意されていた商品は、Tシャツ、スウェットトレーナー、スウェットパーカー、キャップであった。
「今回のワールドカップオリジナルの商品だよ!」などと言うとわれ先にと手が伸びてくる。
昨日も同じものを売っていたが、このときは明らかに勢いが違っていて、文字どおり飛ぶように売れた。
こういう環境に遭遇するとsakanaya氏の「魚屋」DNAが目覚めるのだ。
たまたま居合わせただけだというのに大声で呼び込みを始め、現場で先頭に立って大活躍をはじめたのだ。
あまり多く用意しなかったパーカーがまず売り切れた。
その後すぐにキャップが売切れ、Tシャツ・トレーナーもすぐにMやLといったよく出るサイズもなくなってしまった。
SやLLしかなくなり、これで少しは落ち着くかと思ったが甘かった。
記念品だからサイズはもうどうでもよいと言うのだ。
とにかく最後の頃には、小柄な女性のお客さんがLLサイズのTシャツをつかんで、
「もう何でも良いからこれください!」と悲鳴のような声をあげる程であった。
「お客さん!これLLサイズですよ!大きすぎませんか!」
「もういいからこれください!!」
「いいんですね!じゃあ売った!」
こんな調子である。
盛り上がったWC記念グッズはめでたくほぼ完売した。
盛り上がったレースを観戦して、その勢いで思いっきりボランティアで会社の仕事を手伝ってしまったわけだが、まあ我々もお祭り気分を存分に味わったのであった。

これに味をしめたP社は翌年の長野五輪にはさらに大規模な販売計画を立てたが、そこまで上手くはいかず、オリジナルで作った商品の消化に苦しんだという。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し、もしくは二匹目のどじょうはいなかったというところか…

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