業界の実際

●コンペみたいなウエア

私がスキーウエアの企画を命ぜられたときに、担当させられたのが「コンペウエアに影響を受けるスキーヤー向け」というカテゴリーであった。
「コンペ」というのは「競技」・「試合」のことで、そのような場での使用を想定されたウエアを通称「コンペウエア」と呼んでいる。

自動車などはレース競技で使う車体を一般人が普通に使うことはほとんどあり得ない。
スキーの場合はなかなか売っていないとか、使いこなせるかという問題があるものの、レース競技で使う道具は一般人にも「一応」使うことはできる。
ウエアにいたってはサイズが合っていれば誰でも問題なく使うことができる。
ここがウエアの面白いところで、実際競技の場面でなくとも「スポーツ」的にスキーを楽しむ人はこの「コンペウエア」を抵抗無く着用することが多い。

さて、1990年頃スキーブームが大いに盛り上がってきたときに、この「コンペウエア」が異常に売れる現象の兆候が見られた。
そうなると右肩上がりの時代であったので、色気を出して「コンペウエアみたいなウエア」というものが企画された。(「純」競技ではなくて、「準」競技である)
ユーゴスラビア(現スロベニア)人のB.クリジャイが着用してプロモーションしたウエアである。
当時、本当の「コンペウエア」は白地に鮮やかな色の切りかえがデザインされていたが、この「〜みたい」なウエアはわざと単体では地味といわれる黒を持ってきたのであった。
これがものすごい勢いで売れてしまった。本当の「コンペウエア」じゃちょっと恥ずかしいというか、抵抗あるけど「黒が入っていれば渋くていいじゃん!」というようなノリで買われることが多かったはずだ。
この傾向は他社も追従し市場にひとつのカテゴリーを形成することになる。

二年もすると「〜みたいな」ウエアは白地に鮮やかな色の切りかえがデザインが全盛になっていった。
実際の競技用の「コンペ」ウエアと、「〜みたいな」ウエアとではトレンドに若干のタイムラグがあったということだ。
とはいえ、「コンペウエア」がたまたま「不作」の年は「〜みたいなウエア」が売上を補てんするようなこともあった。

私が「〜みたいな」ウエアを担当し始めたのはその白地のウエアの次の世代からである。
確か93年頃だと思うが、スキーウエアが柄物で埋め尽くされた時代である。
この頃から、スキーウエアの市場で一般ゲレンデスキーヤーのウエア購入予算が下落するという現象が起こり始めていた。
学生のクラブや一部の「狂」が付きそうなスキーヤー以外は、もはや支出のプライオリティのなかでスキーの地位が完全に下がってしまったのだ。
バブル経済が弾けて、その波がようやくレジャー産業に波及してきたことが実感されてきたのであった。
実際、本当の「コンペウエア」も年明けに値崩れしたところを狙って買いに行くというユーザーが激増していた。
普通のゲレンデスキーヤーは、「狂」の付く人々と違って、休日スキーに出かけるときまでにウエアがあればそれで良いのだ。
もともと高コストで充実装備のウエアが単なるゲレンデスキー用のウエアと同じ価格で店に並んでしまうと、「〜みたいな」ウエアの出る幕は無い。
それが常態化してしまうと、メーカーも販売店も利益の取れない安値で売るのが当たり前になってしまい、いまだにその感覚は是正されていない。

値崩れの話は別として「〜みたいな」ウエアも「コンペウエア」の変質とともに色々なものが企画された。
柄物が主流になれば柄物を出しては見たが、前述のように素材コストがかさんで実勢価格に対応しきれず苦労した。
また、キャラクターの張り付いたウエアが流行ればそういったものも出してはみたが、事の顛末は別項「キャラクターつきのウエア」で記述したとおりである。
しかし、スキー業界全体が低価格圧力にさらされ始めた頃から素材はシンプルな無地になり、ここに至って「〜みたいな」ウエアにも可能性が見えてきたのだ。

「〜みたいなウエア」を購入する典型のユーザーはどんなスキーヤーなのであろうか?
会社の後輩に、一度冗談でこんな風に言ったことがある。
「例えば、ゲレンデで初級者の彼女に手とリ足とリスキーを教えるのだけれど、見ると教えている本人もたいして上手くない男が買うウエア。」
「いかにも上手そうな口ぶりなのだが、実際は自称パラレルターンを超後傾で無理やりやってるヤツ」
「店に彼女と一緒に来て適当な知識をひけらかしている男」
後日、東京のスキーショップで販売の応援に行っていた時にまさに上記の通りのお客が現れた。
あまりのおかしさに私のみならず、こうしたユーザー設定を知っているP社関係者は大いに盛りあがったのであった。

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