●晴れの舞台でのウエア【2】 |
さて、いきなり厄介なオリンピックウエアを引き受けたが、思わぬ幸運が転がり込んできた。 ノルディック複合団体で日本が金メダルを獲得したのである。 前年までの流れを専門的に見ていれば予測できた勝利かも知れないが、世間一般としては非常にセンセーショナルでマスコミでも大きく報道された。 最終のゴールシーンで荻原選手が日の丸を振りながら笑顔を見せたことは見ていた人々に強烈なインパクトを与えた。 何しろ、スキー競技の表彰台に日本人が複数人数上がるなどということは札幌のジャンプ競技以来の出来事だったのだ。 表彰式では荻原健司、河野孝典、三ケ田礼一の三選手がP社のウエアを着てTV、新聞、雑誌などあらゆるメディアに露出した。 日本選手が金メダルを獲得した表彰台で着ていたウエアが、「日本風」の藍の絞り染めを表現したものだったのでこれは非常に良くできたストーリーであった。 商品としてもかなりの数が売れた。スキーウエア史上の大ヒット商品のひとつである。 P社としてもオリンピックでの各メディアの露出や販売店の好意的な評価に気をよくしてかなり大量に生産していた。 この時代の風潮としては積極的にどんどん打って出て、取れる売り上げはとことん取る!という感じであった。 とある販売店で当時ウエアを販売していた人の話。 「確かにアルベールビルのウエアはたくさん売れたけれど、P社はこれでもか、これでもかと商品を送ってきて驚いた。それがまたほとんど売れたのでまたまた驚いた。」 しかし、このウエアにも生産上の弱点があった。 「日本風」の藍の絞り染めを表現するため、ムラ染めという技術を使った。白い基布に染料が均一にならないようにのせていくのだ。 文字通りわざと染にムラを生じさせるというもので、当然生地裁断時にどんなムラ具合の部分になるかなどはいちいち見ていられない。 その結果、色の濃いウエアと妙に白っぽいウエアが出来てしまった。 ナショナルチームの選手はウエアをもらっている立場だから文句など言うものはいなかったが、お金を払って購入する一般のお客さんはそうは行かない。 お客さんの前に販売店の人が「これ何とかしてくれ!」といってくることもあったのではないだろうか。 私も店頭でこのウエアを見たことがあるが確かに白場の多いものはあったように記憶している。 当時、生産関係の社員が困りはてていたのを思い出す。 「そんなこと言われても…ムラがあるからムラ染めなんだけどなあ…」 以後、P社も他社も一定のムラを出すべく、プリント柄や抜染(部分的に色を抜く技法)などでムラを表現するようになった。 これには微妙な柄を再現できるプリント技術の発達が背景にある。 プリントでムラを表現するという技法をもっとも使ったのはG社であった。 この事例以外にも、P社が無茶な作り方を強行して苦労しているのに、G社はもっと「利口な」方法で似た効果を出していたことが多かったと思う。 このアルベールビル五輪モデル以降、ウエアメーカーは日本だけでなく各国ナショナルチームモデルを一般スキーヤーに向けて強力にプロモーションするようになった。 勢いとは恐ろしいもので、日本製ウエアがアルペン大国といわれる国で数多く使われていた。 D社がスイス、スペイン、A社がオーストリア、G社がスウェーデンという具合だ。 他にライセンス権を持っていたものも含めると強豪国ウエアがほとんど日本製で揃ってしまうという状況だった。 そんな中、P社は93年からノルウェーチームにサプライを始めた。(92年まではイタリアE社、日本ではG社がライセンス保有) ここでP社にとってはまたまた幸運が転がり込んできたのだ。 そう、日本開催の盛岡雫石世界選手権でノルウェーチームが大活躍。 ふたたび表彰台でこれでもかとウエアを見せつけたのであった。 かねてより期待されていたオーモットがSL、GSで金、コンバインドで銀(金は同じノルウェーのチュース) 女子ではルーデメルがDHで銀、SGで銅メダルを獲得した。 このルーデメルというのは、今から思えばこのときだけの一発屋だったということになろうが、当時は「お人形さん」のような容姿でスピード系に強いというなんとも魅力的な選手であった。 東京のユーザーイベントにも招待されて来日していたが本当に青い目をした「お人形さん」のようであった。 これは本当に裏話だがこんなこともあった。 東京のユーザーイベントは当時、西新宿のNSビルで開催されていてイベント期間中は社員は直接NSビルに向かう。 その日私はイベント会場のセッティングが完了しておらず皆より早めにNSビルに向かっていた。 新宿駅で電車を降りて西新宿の電気店カメラ店街を歩いていたときのこと。 うっすら朝もやが白く漂う朝だった。 週末で仕事に向かうサラリーマンもまったく見当たらない。 ヨドバシカメラの横を通り過ぎたあたりで前方に三つの人影を見つけた。 よ〜く目を凝らしてみると、どうもスキーウエアを着ているではないか!? しかもレーシングワンピースかツーピースに見えた。 考えても見てほしい。東京の6月である。 結構蒸し暑く、みんな半袖で歩いている季節にスキーウエアを着ているだけで異常ではないか? 距離が詰まってくると…なんと外人だ! しかも着ているのは自分の会社で作ったノルウェーモデルではないか!? イベントのゲストとして来日中のオーモット、チュース、ルーデメルがそこにいたのだ。 何で彼らは早朝の新宿をうろついていたのかは知る由もなかったが、私はすぐにも会場に向かう必要があったためそのまま通り過ぎてしまった。 この話は誰に話しても信じてもらえないのだが、確かに私は見たのだ。 晴れの舞台でウエア【3】に続く |
●信者の広場に書き込まれた「sakanaya」氏の思い出話 ノルウェー選手の来日時、 私は仕事中に当時選手対策課にいた同期のCOFFEEYAから納品に行くから一緒に行こうと誘われ、大忙しの中、のこのこ付いて行きました。 宿舎はKプラで、部屋に行くとルーデメルはにこやかに対応してくれ、(顔はお人形さん、体型は男並み) ラッセは時差ぼけで部屋で寝ていて部屋をノックするとパンツ一丁でプロレスラー顔負けの体型をのそのそゆすりながら出てきて、色々その場で着て見てくれました。結構お茶目さんでした。 握手してくれた手の大きさが印象的でした。 しんがりのオーモットは彼女と来ていて部屋にいたんですが、なんとなく邪魔してごめんと言う感じでした。 今となってはいい思い出です。いい時代でした。 |
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