ライブドアとフジサンケイグループの企業買収攻防戦が連日マスコミをにぎわせています。
テレビなどのマスコミを見ていても、買収の小手先の手法ばかり話題にしていて見ていていい加減うんざり…という方もいるのではないでしょうか。
どうもビジョンを問う内容の報道になっていないような気がするのですが、皆様はどのようにお考えでしょうか?
ライブドアが胡散くさく見えるのは、「企業価値を高める」と言いつづけているのに、何を新たに作り出すのか全く見えてこないからと言われています。
しかもライブドアのポータルサイトを見てもヤフーの劣化コピーのようだし、楽天のようにインターネットショッピングモールを初めて構築したというようなオリジナリティも感じられません。
作り出すか否かということで言えば一連の騒動の中で出てきた、ソフトバンクインベストメントという会社も何か製品を作ったり売ったりするということではなく、お金を使ってお金を稼ぐという企業のようです。
スキーウエアの某P社も産業再生機構が入ったあと、一度会社を作り直す形で存続していますが、出資したのはやはりお金を使ってお金を稼ぐ企業です。
まあ、富の蓄積とはこういうことをいうのでしょうが、改めてそのことが世に知れわたった良い機会かもしれません。
企業というのは何か形のあるモノを作り出す活動を行い、その報酬を受け取り存続していく。
日本人一般が持つ素朴な企業・産業のイメージが大きく変化している時代なのでしょう。
スキーをはじめ、スポーツの世界は身体的に体感、実感することが必ず発生する分野です。
そのスポーツの業界も企業の買収、合併は世界的に数多く行われています。
企業とは利益が出なければ存続できないわけですが、利益を出そうとするあまり製品の質が犠牲になったり、虚偽すれすれのプロモーションなどしないよう願っています。
また、ユーザーもそこはしっかり見ていかなければなりません。
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21世紀の開幕に合わせるかのように出現したショートカービングスキーは、中級の技術である程度のショートターンを可能にしてしまいました。
また、競技はもちろんのこと、技術選でもそのような板を使って究極に切れるターンを見せてくれます。
しかし、それを突き詰めていった結果、どんどん用途が特化したものになってしまいました。
当然ロングターンではまた別の板が…という話になってしまうわけです。
これでは普通にいろいろな斜面を滑りたいという人はどうしたら良いかわからなくなってしまいます。
考えてみれば普通のゲレンデスキーヤーにとってカービングであるメリットといえば、まずは幅の広いトップによってターンの導入がやさしくなったという点です。
「意地でもズレないぞ〜!」というような強烈なエッジグリップはレース用でもない限り必要度が高くないことにメーカーもユーザーも気付き始めています。
そこでオールラウンド性能を売りにしたスキーがこれからのゲレンデスキーヤーにとってははまってくるものと思われます。
一方でオフピステ対応のファットスキーというカテゴリーが確立しつつあります。
元々は不整地を滑るための対応幅の広さですが、色々な斜面を滑るためのオールラウンド性ととらえることもできます。
案外、オールラウンドなスキーというもののヒントはそんなところにあるのかもしれません。
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このサイトをご覧になっている大多数の方には縁のない世界かもしれませんが、学校のスキー体験教室の生徒さんたちというのはほぼ全員がレンタルです。
そんな生徒さんたちの使っているグッズの内容を見る機会がありましたが、カービング以前のスキー板、バックルが一つか二つのリアエントリーブーツといったものでした。
最近はレンタルグッズもいろいろで上位機種のレンタルも増えてきているようですが、初心者向けの内容はほとんどがそのようなものです。
ただ、いくら初級者向けとはいえそれでいいのか?と思う部分はあります。
教えるインストラクターの方は新しいカービングを使っているのに、教わる生徒のほうは昔ながらの真っ直ぐなスキーだったりするわけです。
これでは手本を見せても場合によっては生徒が再現不可能な事態になりはしないでしょうか。
百歩譲ってカービングでない板は仕方がないにしても(クラシックなシェイプの板で滑ることも意味がある)むしろブーツの方が問題になるでしょう。
まず、あまりに低性能のブーツだと、ただ板を足に固定しているだけの存在になりかねません。
動作が板にまともに伝わらないブーツだと、練習しても上手くいっているのか否かわかりません。
さらにサイズのフィッティングも問題になります。
最初から適切な選択が出来る人はなかなかいないはずです。
考えようによってはスキーの体験教室というのは将来的なスキーヤーへの入り口かもしれません。
コスト上の問題があるのは百も承知ですが、もっと丁寧な対応が出来ないものでしょうか?
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コクド・西武鉄道の株式問題、経営再建問題で堤家の支配構造がセンセーショナルに取り上げられ、報道されていました。
また、コクドの経営するスキー場が撤退するという話が持ち上がってからはその地元から「何とかしてくれ」と存続の要望が多数あがっているといいます。
私がこの事件で連想したのは「利益誘導政治」です。
例えば新潟県は政治の力で新幹線も道路も整備され、地元はそれで生活と産業が劇的に改善・活性化したのは事実です。
湯沢町など高層マンションが林立して景観が一変しました。
「陸の孤島」と呼ばれた土地がトンネル一本で「普通の地域」になった例もあります。
冬期間、病人でも出れば生きるか死ぬかといったところが、普通に病院に連れて行けるようになるわけです。
そうなれば、「利益誘導政治」と批判されていてもそこに住む人にとっては神のごとき善政となるのです。
大都会とそこに集中する大企業の富を地方に再配分する仕組みという見方も出来ます。
しかし景気が低迷してそんな構造も崩壊しつつある地域が増えています。
利益誘導された地域も時の流れとともに無理や無駄があからさまになってきたというわけです。
日本全国、人の往来や物流は昔とは比べ物にならないくらい活発になったようですが、その土地に産業が根付いて多くの人が生活できる雇用が確保されているかといえばそこには依然として大きなギャップが存在しているのです。
スキーをする環境はそんな現状にあると認識するべきでありましょう。
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このシーズン、スキー場にとっては大雪に「恵まれました」。
4月のこの時期になっても積雪十分です。
しかし、雪があっても「お客が充分な人数集まりそうもない」という理由で営業終了するスキー場は大変な数に登ります。
かつては多少赤字であっても真冬の時期に稼いであるので春スキーシーズンもなかばサービスのようなもので営業してしまえという状態であったと思います。
もはやそのような余裕は無くなったということでしょう。
営業はするものの、平日は休んで土日休日のみというところもいくつかあります。
12月に関しては北海道以外雪不足(というより雪が無かった)でどこもまともに営業できていなかったわけですが、春シーズンで少しでも挽回しようとできるスキー場は本当に少数です。
雪はどっさりあるのに、片づけをしているスキー場を見るとまたまた状況の厳しさを感じずにはいられません。
春のシーズンにはそれ特有の良さというものがあります。
ザラメ雪はスキーを振り回さず縦に乗る良い練習になります。
コブ斜面もザラメがクッションになって転んでもたいして痛くありません(?)
バックカントリーも山全体がゲレンデと同じような雪質になりますのでおすすめです。
信者の皆さんに限らず、みんなで春スキーに出かけましょう!
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春といえば、卒業式・入学式のシーズンです。
ここのところ卒業式というと、公立学校の教師で国旗・国歌に反対する人がいて、それを処罰する教育委員会、さらにその処罰に異を唱える人がよく話題になります。
日の丸・君が代は軍国主義の象徴であるから自分の中では認めることができないというので、日の丸の掲揚には反対し、君が代は歌わない。…だそうです。
それに対し、教師というのは公務員ですから、法律で定められた国旗・国歌をないがしろにするのはその立場上許されないという意見が出てきています。
処分として重度の罰則を適用しまくるとこれはどうかと思いますが、公務員という立場で思想信条の自由はあるもののあくまで心の中の問題であって職場で表現するものではないでしょう。
国旗・国歌に反対する人達にきいてみたいのは、たとえばこの間のアテネ五輪で日本人選手がメダルを獲得したときにどう思ったのか?ということです。
メダル獲得の表彰式を見たときにあの「国旗・国歌」であったが故に感動できなかったのでしょうか?
プロスポーツで、サッカーや野球の試合が始まるときに国歌として君が代が歌われることが多くなりましたが、その事実に対して何か抗議行動は行ったのでしょうか?
本当に現在の「国旗・国歌」が不適切であると考えるならば、代わりになる旗と歌を用意しなければなりません。
そうでなければただ単に日本人という集団の「看板」を外したがっているに過ぎないととられるでしょう。
私の意見を申し上げれば、スポーツの国際競技の場面では国旗・国歌が必要不可欠だと考えています。
そして事実上、日本を代表する国旗・国歌は日の丸・君が代しかないと思われます。
その証拠に国際大会で日本人が活躍したとき、日の丸・君が代に接しても決して否定的な気持ちにはなりません。
日本という集団の「看板」としてそれらを認めているからです。
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前回、スポーツの国際競技の場面では国旗・国歌が必要不可欠だと申し上げました。
国の代表として参加する選手たちは、例えばクラブ代表などという場合よりも違った意識を持つと思います。
都道府県代表でも似たような意識になると思いますが、そのスポーツをやっている人の代表ということにとどまらずそこに住む人たちの代表という意識があるはずなのです。
帰属意識といっても良い感覚でしょう。
乱暴な議論かもしれませんが国旗・国歌を無視・軽視するような状態では、スポーツの国際競技で勝利することは困難だと思います。
(かといって国旗・国歌を大切にすれば勝てるというほど単純な話ではありませんが…)
スポーツとはいえ競技や試合はある意味「戦い」です。
そして「戦う」うえで「自分は何物」であるかということは大変重要な認識となります。
生まれ育ちも含めて自分の背負う背景を知るということです。
抽象的な言い方ですが「自分は何物」であるかという事をベースに「強み」と「弱み」を考え相手に相対する必要があるのです。
そんなことは個人レベルで意識していればそれでよいという方がもしいたら、それは認識が甘いと言わざるをえません。
チーム種目はもちろんのこと、個人種目でも周囲のサポートが不可欠な時代になっているからです。
組織だった戦略を正しく組み立て、実行してはじめて国際舞台で勝者になれると考えます。
組織だった力を結集するためには「日の丸」という象徴は有効に使えるものと思います。
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カービングスキーが出現してからというもの、中級程度の技術があればなんとなくカービングターンが出来るようになりました。
サイドカーブのきつい板というのは雪面は平らな方が向いています。
自分でターンを始めるというよりも板のカーブによってターンが始まる傾向が強いので雪面に余計な凹凸がない方が、挙動が読みやすいからです。
そのため、ややもするとスキー場が整地ゲレンデを多く作りたがるのはカービングのせいだと錯覚してしまうかもしれませんが、実はこれこそバブルの遺産というべきものです。
スキーが大ブームに乗ってその売上げを大きく伸ばしていった時期には、とにかく誰もが一度はスキー場に行くという状態であったはずです。
そんな時代に、連れて行った女の子が恐怖心を持ってしまうようなスキー場にいくでしょうか?
とにかく斜度にかかわらず、「まずは平らにならしてしまえ!」というようになってしまったわけです。
こうすることで、ちょっとスキーの心得がある人はパラレルターンやウェーデルンらしき滑りをあまりアラが見えない状態で見せびらかすことができました。
全く持って虚栄心を満たすための整地ゲレンデと言うべきものでした。
それが、いつのまにかたまたまカービングのための整地にすりかわっていっただけなのです。
スキーヤーも次第に濃縮されてきて初心者に半端な技術を見せて虚栄心を満たそうとしてもその初心者自体が激減しています。
そうなるともっといろいろな斜面を滑るべく精進する必要が出てきます。
ここにきて整地だけでは満足しないスキーヤーが増えてきたことにスキー場は気付きはじめています。
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前回の説教で、整地ゲレンデが多く存在するのは虚栄心を満たすためのバブルの遺産であると申し上げました。
これを良い言い方に直すならば、顧客の要求を満たすためのスキー場側の営業努力と言えましょう。
現在、スキー場の営業努力がゲレンデに現れるのは、ハーフパイプやテレインパークなどの「作り物」ではないでしょうか?
スキー、スノーボードのフリーライド・フリースタイル志向者向けにかなり手間をかけて作り上げているケースが見受けられます。
一見してゲレンデが大きく変化したのがわかるのでお客に対してはビジュアル効果絶大でしょう。
WEB上の情報などをみていますと、これらの「作り物」に対してユーザー側がいろいろな評価を下し情報交換している場面に出くわしたりします。
「○○のパークは出来が良い」、「△△のハーフパイプはつくり手がわかっていなくて全然ダメ」とか、無責任な情報も含めて見ることが出来ます。
しかしながら、かつても「○○のゲレンデは整備が良い」「□□には気持ちのいいロングコースがある」などと、整地ゲレンデに対してもユーザーの評価が行われてきたはずなのです。
パークはゲレンデが変化し時代が変わったかのように見せる効果はありますが、かつての「整地ゲレンデ」と同じように顧客の要求を満たすという動機で作られ、同じようにユーザーから評価される存在なのです。
さて、ここで気付きませんか?
元々は天然自然の環境で行うことから始まったスキー(スノーボードも)がいつの間にか人工的な環境を売りにするゲレンデに人が集まっているという状況になっているのです。
次回は100回記念説教となります。
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