説教の記録(141-150)


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141:2006年9月17日「粗悪なスキーのような心」

142:2006年10月31日「美しい国」

143:2006年11月19日「これ、ボード用?」

144:2006年12月19日「昔の技術がまた生かせるのか?」

145:2006年12月26日「2006年スポーツトピックス」

146:2007年1月7日「2007年年頭のご挨拶」

147:2007年1月15日「暖冬:一種の風評被害」

148:2007年1月17日「スキー場の未来」

149:2007年2月9日「あるある捏造問題」

150:2007年2月18日「思い通りにならないから感動がある」

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相変わらず世の中を凶悪事件がにぎわせています。
特に子供や未青年が事件を起こすとセンセーショナルに報道されますが、まあ、あらゆる年齢層で凶行に走る人がいるというのが現実でしょう。
マスコミなどは「ストレス社会」で心を病んでしまうとか、「心の闇」とか言っています。
キーワードを決めて、それで分かったようなことを言っているようです。


しかしながらストレスなどと言ってみても現代人に限らず、それは人類発祥の頃からあったはずです。
もっと言えば、動物全て、平穏な生存を脅かされればそれはすなわちストレスと言えます。
思うように生きられず、そのストレスに負けているようでは、その動物はすぐに他の動物の餌食となってしまうでしょう。
また、ストレスの状態というのは、行き詰まった状況を打開するため、ブレイクスルーを実現する前の心理的な「タメ」ではないかと考えられないでしょうか。
スキー板に例えれば、しなって「タメ」が生じ、それが戻るときに「走り」が生まれるということです。


現代的な犯罪の問題は、質は変わったにせよ昔から存在するストレスを「タメ」として受け止めることができないということでしょう。
当然受け止めるには良質のウッドコアのようなしなやかさが必要です。
犯罪を犯してしまう心は粗悪なキャップスキーのようなもので、ストレスに耐え切れず、急に折れたり、割れたりするのです。

個人的に忙しかったため、気がつくと1ヶ月も説教をアップできませんでした。
この間、総理大臣は小泉氏→安倍氏にかわり、北朝鮮は核実験を行い、日本ハムが日本一になったり…と世の中いろいろなことが起こっていました。


さて、安倍新総理ですが、この方は所信表明演説で「美しい国」をキーワードに日本を発展させていくと言っていました。
新総理のおっしゃる「美しい国」とは、ご本人の言葉を借りるならば、


1つ目は、文化、伝統、自然、歴史を大切にする国であります。
2つ目は、自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国であります。
3つ目は、未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国であります。
4つ目は、世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国であります。


ということでありまして、日本固有の良いところを重視し、国としてプライドを再生させようとするということでしょう。
世の中に蔓延していた「なんでもグローバリズム」に対する反動的な面も感じられると思いますが、皆様はいかがお感じでしょうか?
上記の「美しい国」が実現すれば、トップクラスから一般層までスポーツの世界も活性化するような気がします。
日本人である自分の持っているものを大切に認識し、規律(ルール)を尊重しながら世界と渡り合える選手が多数出てくると思うのです。
内政面では教育問題などに話題が集中していますが、スポーツに対しても是非、有効な振興策を打ち出していただきたいものです。

現在、職場ではスキーウエアを売っていて、少しだけスノーボード用ウエアも置いてあったりするわけです。
お客さんと話をしていると、やはりというかなんと言うか「10年ぶり」とか言うことでウエアの購入を考えている方が多いのに気付きます。
その話の中で、スキーウエアを見ながら「これ、ボード用でしょ?」といわれることが結構多く驚かされることがあります。


確かに、スキーウエアも最近は(景気が悪いせいもあると思うのだが)、普通にゲレンデで楽しむ程度ならば、無地染めの素材でシンプルなデザインのものが多いのも事実です。
「無地でシンプル」=ボード用
という図式がスキーヤーのある層には完全に出来上がっていると見るべきなのでありましょう。
スノーボードが広く普及し始めた時代、「ボーダー」は「スキーヤー」を感覚的に積極的に嫌っていました。
柄物が多い(と思われていた)スキーウエアを「ボーダー」は積極的に嫌っていたというわけです。
今ではいきなりスノーボードを始める若者が多く、「ボーダー」も「スキーヤー」を変に意識することもなくなりました。
その結果、一見スキーウエア的な柄物のボードウエアが販売されたりもする時代なのです。


「これ、ボード用?」
このような発言が出るというのは10年以上、感覚が更新されていない状態を示しています。
スキー人口の減少と共に、このような情報の滞った状態が発生していたことに気付かされた出来事でした。

たまたま9月10日発売のスキーコンプを再読しておりましたところ、ベンジャミン・ライヒのインタビューの中に面白い表現があったことに気付きました。
技術的な話で主にGSの滑り方を解説していた部分です。
興味深いのが、ターン前半の局面で「ドリフト」を使い、後半では「レールターン」になるという話です。
ここで言う「ドリフト」とは、自動車がタイヤをズリズリとスライドさせるようなものではなくて、サイドカーブに頼らず自分でスキーの方向を次のターンに向けていく動作のことです。


FISのルールによってサイドカーブは数年前からすればかなり大きくなりつつあります。
GSに関して言えば、2000年頃のレベルまでサイドカーブが大きくなりつつあります。
既に05-06シーズンのW.C.レースを見ると、ライヒの言う「ドリフト」は実際にかなり見られます。
何だか懐かしいような気になってしまうのは私だけでしょうか?
ポールセットにもよりますが、カービング時代以前、必死に練習した方向づけのテクニックがまた生かせるような気がしているのは私だけではないでしょう。
(ただし、昔の感覚で動こうとしても身体がついてくるかは別問題)


FIS規定のスキーを使うレースに限って言えば、より「自分で動いていける」レーサーが抜きん出てくるのではないでしょうか。
もちろん、動くためには動くための足場をしっかり確保できる「良いポジション」が必要になります。

年末です。
テレビなどでは、様々な分野に関して一年の話題を特集していたりします。
スポーツ分野では、定番の話題として野球やサッカー、ゴルフなどはもらさず取り上げられていました。
ウインタースポーツの分野ではトリノ冬季五輪のことが当然取り上げられたわけです。
が、テレビのレベルで話題にするのはフィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香ばかりで、映像は「イナバウアー」の部分のオンパレード。
これでは本人もややうんざりしているのでないかと推測いたします。


当教会を訪れる方々にとっては、アルペンスキーで皆川賢太郎選手が4位、湯浅直樹選手が7位と、一桁に二人も入賞したことは外せないトピックでありましょう。
これだ多くの一般人が楽しむスポーツにもかかわらず50年もオリンピックでメダルを獲得できなかった種目で、メダル獲得一歩手前まで迫ったのです、
スキーのように歴史が長いにもかかわらず、今までその歴史の長さに見合った実績を残せていなかった種目での入賞なのです。
しかし、私が見た範囲ではアルペンスキーを取り上げた番組はありませんでした。


スピードスケートでも同様、4位入賞はあってもメダルには届かなったのでしたが、4位入賞では「一般向けの」マスコミにとっては取り上げるネタではなくなってしまうのでしょう。
それにしては、同じくメダル獲得もしていないのにカーリングは大々的に取り上げられていました。
まあ、マスコミというのも相変わらずやっつけ仕事で表層をなぞっていると思いましたが、それを見て思いっきり「踊らされている」人々がいるということなのでしょうか。
スポーツの核心に触れるような番組を期待しても、そんなことはかなわぬ時代なのでありましょうか?
スキーに関していえば、その長い競技の歴史、マテリアルの問題、練習環境の問題、怪我との戦い、チームのあり方などいくらでも掘り下げるネタはそこにあるのです。
本当に、知的好奇心を満たしてくれるような番組はなく、ただ日本人は目立った出来事をなぞるだけで満足している存在になってしまったのでありましょうか?
まだ、商品の魅力を掘り下げるジャ●ネットタ●でも見てるほうが知的好奇心を満たせるというものです。

信者の皆様、あけましておめでとうございます。
昨シーズンは25年ぶりの豪雪でしたが、今シーズンは25年ぶり(?)くらいの雪の少なさです。
ヨーロッパも雪不足でワールドカップのスケジュールもズレまくっています。
修行しようにも思うように出来ないという方も多いのではないでしょうか。


こういうときこそブリザードのような真実のスキーを使い、一本一本集中して滑ってください。
神の領域を垣間見ることが出来るでしょう。

地球温暖化の影響が現れているといわれています。
年々氷河が縮小しているという報道はもう聞き飽きてしまったほどです。
この冬に関しては、北米はそれほどではないにしても、日本とヨーロッパはかなりの暖冬で積雪が極度に少ない状態です。
ワールドカップはじめ、スキーの試合のスケジュールは軒並み影響を受け、変更を余儀なくされています。


こうなるとレジャースキーヤーは、出かけること自体億劫になってしまうようです。
スキーに限らず、スノーボードも含めたウインタースポーツのビジネスは悪影響を受けています。
これは一種の風評被害といっても良い性質の現象です。
信者の皆様は、「この程度の」暖冬で影響を受ける方々ではないと推察いたしますが、こういった時こそ業界を盛り上げてください。
知り合いの人々にスノースポーツの良さをお話してみてください。

今シーズンは雪が少ないと皆が言いますし、実際少ない状態です。
日本だけでなくヨーロッパもひどい状況で、先日のウェンゲンのワールドカップも日本の春先のようなコンディションであったようです。
昨シーズンは日本で大雪、今シーズンは小雪と、一概に言えなさそうですが、それは地域的・部分的な現象であり、マクロ的に見ていけばやはり温暖化してきているそうです。
地球温暖化の証拠として、実際に氷河が年々小さくなっていることも広く知られています。
実際、世界の平均気温も上昇傾向にあるといいます。


このような状態で、国内各スキー場も年末年始は大幅に売上を落とすところが多かったと思われます。
問題は、先シーズン・今シーズンのようなミクロな変動はこれからも起こりうることで、その影響に経営上耐えられないスキー場が多いということです。
マクロ的に温暖化が進めば将来は標高の低いスキー場はほとんど営業できなくなるという予測がありますが、その前にもっと細かい変動でスキー場が倒れてしまうのです。
先シーズン雪が多すぎて来場者が減り、破綻したという例もあります。


これが景気の良い頃ならば乗り切る体力もあったのでしょうが、現在のスキー場は過去の過剰投資が負担になっているところが多く、ミクロな気候変動で経営が変わったり消えてしまったりしています。
この変動を乗り切るためにも、いわゆる「身の丈にあった」財務体質にしていかなければならないでしょう。
今の時代は、その「身の丈にあった」状態に移行しつつ、それでも成り立たないスキー場は消えていくプロセスにあるといえるでしょう。
さらに先にはもっと大きな温暖化の影響が待っているのですが…。

最近のマスコミを揺るがした話題といえば、某情報系バラエテイ番組の捏造問題でありましょう。
テーマとして取り上げられたものが売り切れてしまうなど、社会的な影響も大きかった人気番組の不祥事であり、「天国から一転地獄へ」といったイメージではやしたてられているようです。
ただ、以前から番組を批判的に見ていた方からは、放送内容中、検証実験があまりにずさんではないかという指摘はあったようです。
なぜそんな番組に多くの人々が踊らされていたのでしょうか?
こうした事件の起こる背景には「より強い刺激、常に耳新しい話題を求める」感覚の麻痺した視聴者(日本人)がいます。


商業的に常に消費者を刺激しつづける企業のあり方の問題もあるでしょう。
その企業の刺激にさらされ続け、振り回されていることにすら麻痺してしまった日本人の姿が見えてきます。
感動を与えられることに慣れすぎて、自ら進んで体験することから感動を得ることがなくなってしまった人のなんと多いことか。
ショーアップされたスポーツ中継を見て「感動をもらった」などと口にする人々はそういったスポーツのイメージを与えられて「感動を消費している」だけなのでしょう。
実際、ショーアップしにくいスキーの中継は日本では人気がありません。


一方、主にスノーボードを行うと見られる若い世代もウインタースポーツ参加率が低下しているといわれます。
彼ら子供の頃からゲーム機などにどっぷりつかっていた世代が成人すると、与えられた刺激・感動から抜け出せず、そのままゲームをし続けたり、パチンコ屋に通ったりするのでしょう。
いずれも、手かえ品かえで「お客を刺激する」ものばかりです。
このように規格化され仕掛けられた「感動」ばかり味わって満足させられていれば、わざわざ雪山に出かける必要もなくなるというわけです。
ウインタースポーツ人口減少の背景にはこういった「感動」の質的低下があると考えています。

前回の説教でウインタースポーツ人口減少の背景には「感動」の質的低下があると申し上げました。
では質の高い「感動」とは何なのでしょうか?
私はひとつのキーワードとして「思い通りにならない」という言葉をあげようと思います。


私はゲーム機などに対しては批判的に見ていますが、人によってはゲームも「思い通りにならない」部分があるという主張もあるでしょう。
しかし、それは所詮ゲームの開発者の仕掛けた範囲内の「思い通りにならない」です。
本質的には、リセット操作や強制的な電源OFFで、何の苦もなく初期化することができるものなのです。


これが例えば「登山」の場合、天候の急変などの要因により途中で止めようとする場合でも、全ての面できれいにリセットすることなどありえません。
最終的に帰りつくまでさらに大きなリスクがあることすらあります。
当然、同じ条件下での再挑戦などできるかどうかわかりません。


登山ほどリスクはなくとも、スキーというスポーツも時々刻々状況が変化しますので、厳密には同じ条件での2回目というものは存在しません。
レースでは、片ハンや転倒などがあれば再レースすらできるわけもありません。
ルール上、再レースが行われる場合にしても、同じ条件で再スタートなどということもありえないのです。
実に「思い通りにならない」要素が多い世界です。
それ故、思い通りの結果が出たときの感動は非常に深いものがあるのです。

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