説教の記録(151-160)


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151:2007年2月24日「地盤沈下」

152:2007年3月5日「混戦の時代:勝利の条件」

153:2007年3月15日「ノルディック世界選手権」

154:2007年3月30日「世間一般の注目を集める種目の条件」

155:2007年4月4日「春は新社会人が話題になる季節」

156:2007年4月18日「平板・キャップ板」

157:2007年5月3日「試合:トレーニングのバランス」

158:2007年5月7日「高校野球特待生問題」

159:2007年5月19日「進化」

160:2007年6月1日「幼くなった子供達と環境」

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今シーズンは雪不足のため、中止に追い込まれてしまったスキー大会がいくつもあるようです。
それは自然の前では致し方のないことだとは思います。
ただ、ごく少数ではありますが「参加者減少のため中止」という大会があるということを聞き及ぶにいたり、非常な危機意識を感じました。
10年、15年前には学生とそのOBの年齢層(30くらいまで)がレース参加者のボリュームであったと思います。
それが現在では、その年齢層がそのまま持ち上がって30〜40台がボリュームとなり、さらにその子供達の層が盛り上がりつつあるというのがレース人口の構成でありましょう。
(マスターズの方々もしっかり活躍されていますが、ボリュームということで…)
30〜40台というと仕事上は責任が重くなり、職種によってはスキーに時間が割きにくくなってきます。
その子供達の層も、親が余程入れ込まなければレースに参加し続けることはできないでしょう。


結果、トップレーサーから裾野のレーサーまでかつては富士山のようなきれいな人口分布であったものが、切り立った幅の狭い山になってきているように思えて仕方ありません。
私も業界も、一般スキーヤーが減少してもレーシングスキーヤーだけはそう減らないだろうと思い込もうとしていましたが、その部分までも疑っていかなければならないのでしょうか。
スキーコンプ誌の廃刊という出来事もこの流れを現しているのかもしれません。
今後は、レーシングスキーの情報では印刷媒体は成り立ちにくく、ネット情報が中心になってくる可能性があります。

今シーズンアルペンスキーのワールドカップはかなりの混戦というか、新手の選手の初優勝も相次ぎ「下克上」状態です。
ヨーロッパの雪不足で、バーンコンディションが保てずフリップ30では必ずしもトップシード選手有利にならないという事情もあるでしょう。
しかしスラロームなどでは、堅実な技術だけでは勢いのある選手に対抗できないように思えます。
今シーズンのW.C.の情報を見ていると、特に技術系の種目については下記の3つの要素が揃っている必要があると思われます。


1、ベースの技術が安定していること
2、マテリアルの特性を生かす滑りができていること
3、プラスアルファの「攻め」があること


1は我々一般レべルのスキーヤーから意識すべきことです。
オーストリーやノルウェーの選手の多くは正確な基本動作を極限まで徹底することで、トップクラスのタイムを出すことが多いと思います。
発展途上のスキーヤーはそのような選手をまずは手本にすべきでありましょう。


2に関しては一般スキーヤーからトップスキーヤーまでそれぞれのレベルで、それぞれの問題が存在しています。
現在スラロームで絶好調のマリオ・マットは、対象的な性格のS社→F社というマテリアルチェンジによるギャップをようやく乗り越えたという意見もあります。
佐々木明選手はこの部分が未解決なのでしょう


3に関しては「それまでノーマークだった選手が突如急浮上」といった時の滑りに見られたりします。
「誰よりもスキーのトップを下に向けていた」
「誰よりもダイレクトなラインで滑ってきた」
という言われ方をすることが多いパターンです。
B.ミラーの登場当時は、こういった面がことさら強調された報道であったと思います。
もちろん1のベースの技術があっての話であり、そこに安定感がなければ「早そうなのに完走しない」タイプになってしまいます。
また、ある時安定感のある滑りができていたとしても、何らかの要因で安定性が失われてしまうこともよくあります。
このようにスキーの技術というのは精密な歯車の組み合わせのようなものです。
精密に組みあげるのも至難の技といえますが、やっと出来上がってもすぐに狂いが生じてしまうことが多く、良い状態を維持するのも大変なことなのです。

先日、テレビをみておりましたところ、NHKニュース解説のコーナーで、札幌で行われたノルディック世界選手権を取り上げていました。
ジャンプ団体で銅メダルをとったものの、近年日本の成績は振るわず、それはどういった訳なのか?という内容です。
長野五輪後、身長によるスキーの長さ制限があったこと、その後体重を軽くして距離を伸ばそうとする動きがあったためBMI(身長・体重の比率)規制があったこと、ノルウェーを引き合いに出してきて隣国からコーチを招き、全国のスキークラブを一元的に組織化したところ、ルール改定などあっても再び成績が出た事例があったといっていました。
資金面でも、ノルウェーは日本の倍以上使えるので、ノルウェーの選手は収入の心配をすることなく競技に専念できるそうです。(ノルウェーにおいてノルディックスキーは国技でしょうから、資金が回るのは当然とも思いますが…)
さらに番組中、日本の現状としてスキー人口全体が減少するとともにジュニアのジャンプ競技会も参加者が大きく減ってきていることが紹介されていました。
最後に提言として、スキーの競技統括団体であるSAJが各方面の取りまとめ、資金調達などをしっかりやるベきだとおっしゃっていました。
さすがスポーツ担当の山○解説委員です。
(五輪の実況には必ず登場し、しばしばゲスト解説者より深い知識を披露する方です)
実にまっとうな解説でした。


人の話ばかりしていても説教になりませんので、僭越ながら、私の思ったことを…
選手の育成という面において日本特有の問題があると私は思っています。
それはトレーニングや試合の環境に関して、中学・高校・大学では学校単位で、学校を出ると企業などに所属し直しているという状況です。
中→高→大と進学するときもその都度、所属し直すため、環境の連続性が絶たれる場合が多いのです。
もっとクラブ(スクールでも良いかもしれません)で長期間一貫した指導を行える方が良いように思うのですが、いかがでしょうか。
上手くステップアップした環境に「上がっていく」選手もいるでしょうが、そのようにステップアップも出来るし、一貫した環境も選べるという方が様々な選手の可能性を拾い上げることが出来ると思うのです。
そのためにはクラブやスクールのコーチが、試合本番のサポートなども無理なく行えるような環境が必要でしょう。
現在、彼らの多くは「本業」で稼がねばならないため、育てている選手の面倒を見切れないことが多いように思います。
こういったこともまたSAJの役割になるのではないでしょうか。

アルペンスキーのワールドカップの最終戦でスビンダールが劇的なハットトリックで総合優勝を決めた頃、日本のTV局では、フィギュアスケート世界選手権、世界水泳(シンクロ)の放映をやっていました。
アルペンスキーでは残念ながら日本選手の活躍がなかったのでいたし方ないのですが、改めてマスコミでの扱いの違いを思い知らされました。
フィギュアは男子で高橋大輔が銀メダル、女子では安藤・浅田の金・銀、シンクロも銀・銅多数獲得ですから、活躍度から言えば注目されて当然ではあります。
さらに安藤美姫選手には、国際スケート連盟からの賞金+日本スケート連盟からのボーナス+所属のトヨタからのボーナスで約1,000万円になるという報道もありました。


私考えるに、世間一般の注目を集めるスポーツの要素は…
1、国際大会でトップクラスの成績をおさめること。メダルを獲得すること。中でも金メダルの価値は銀以下のメダルとは比べ物にならない。
2、男より女。若い女性がひたむきに努力してそれが報われたときの感動。
3、一度、挫折かそれに近い逆境を体験してそれを乗り越えること。
4、感極まったときに流す涙。(観客、視聴者のもらい泣き間違いなし)
5、できれば地元開催の大会


1は当然としても、2に関してはスポンサー企業が最も気にするポイントでしょう。CMを作ったときに見栄えがするのは圧倒的に女性アスリートなのです。
3の要素は、TV番組の「お涙頂戴」ストーリー作りに格好のネタを提供することになります。
4の女性アスリートが涙など流すのを見て悪く思う人はかなり少数派のはずです。というか、下手な女優の演技よりも見ている人間は「泣ける」はずです。
今回のフィギュアスケートは見事なくらい注目を集める要素が揃っていたといえましょう。
スキー関係で最もそうした条件が揃ったのは長野五輪モーグルの里谷の金メダルでしょうか?
ジャンプの長野団体戦も女性だったら100倍盛り上がったはずです。
アルペン競技では残念ながらそのような条件を満たした選手・出来事はありません。
しかしながらそれ故、競技としてのスキーはTVの商業主義に毒されることもなくここまできたのです。
とはいえ、日本でもアルペンの女子選手が世界のトップに絡んでくればまた競技としての人気も変わってくると思うのです。
今期、チェコの選手が国際舞台で活躍しているのを見ると、日本の女子選手も何とかなるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

4月に入ると、新社会人の話題がメディアに取り上げられます。
今年は景気回復、団塊世代の大量退職で人手不足の状況になり、バブル期のような売り手市場だが、入社式では厳しい話がされるというのがニュースのパターンになっているようです。
しかしながらメディアに取り上げられるのは、有名な大企業だったり公官庁ばかりです。
第一次産業(農業等)は、メディアでは「しょうがない」という感じで話題にものぼりません。
第二次産業(製造業等)はモノを作るという特性上、最もメディアが取り上げやすい分野です。(家電製品など一番分かりやすいので、経済番組では定番的な扱いになっています)
実のところ、日本で人材面で問題を抱えるのは第三次産業(サービス業)でしょう。それも中小企業規模のところです。
お客様を相手にソフト面での能力が求められている業態にも関わらず、大多数はパート・アルバイトという非正規雇用の比率が極めて高い分野です。
ソフト的なサービス提供というのは形ある製品ではないために、コストや評価が非常にファジーになります。
そのため人件費は抑えようとすればたやすいものの、それが過ぎると逆に優れた人材を確保していくことが困難になります。


さて、スキーの世界も製品を作る分野は第二次産業といえますが、そこから先は全て第三次産業です。
皆さんがスキーを買うショップも、スキー場も、スキースクールもソフトを提供することが求められる業態なのです。
まさに働くヒトの質が命と言えましょう。
スキーという種目はシーズンが偏るという特性があり、それゆえの難しさがありますが、それ以前に「まともなサービスを提供できる人材」を確保できるかが問われてると思います。
我々の業界は人材の質を確保していけるのでしょうか?

今、スキーヤーの中ではなんとなく「平板が良い」と言っている方がいるような気がしています。
誤解されるといけないので申し上げて起きますが、私は平板ならばそれで良いとは考えていません。
確かに私個人としては平板の乗り味は好みではありますが、それは良いスキーの必要条件とは言えないのです。
スキーがカービングになって長さが短くなってくると、キャップ構造では箱に近い状態になりしなりが出にくくなります。
それをしなりやすくしようとすると、キャップ構造ながらかなり薄い構造にしなければなりません。
たまたま板の短くなった今の時代は、「平板のほうが良好なしなりが出やすいだろう」という程度の話なのです。


キャップ構造にもメリットがあります。
それは比較的簡単にエッジグリップを強く出来ること、立体的な構造になるため「曲がり」「ゆがみ」が発生しにくいこと、スキー個々の個体差が出にくいことなどが上げられるでしょう。
問題にしたいのはスキーの性能上、合理的な理由が無いのに「キャップ構造」にこだわったりすることです。
あくまで必要性があっての構造選択にしていただきたいと思います。
私たちスキーヤーも板を選ぶときにはそういった部分を吟味し、必要の無いものがついた板に関しては「ノー」と言えるようになりたいものです。

スキーコンプ亡き後、その内容を引き継いだSKI RACER誌も二冊目が出ています。
多くの信者の方がその内容をご覧になっていることでしょう。
私はダイナマイト原田氏の記事に注目いたしました。
「全中を振り返って」というようなタイトルはついていますが、内容は多岐にわたり、ご自身のレース再チャレンジ、レーサーのスキー場での立ち居振る舞いなどにも触れられています。
現在のアルペンレースの世界の問題点を鋭く指摘した重要な記事でありましょう。
特に気になったのは、現役選手のポイントレースが多すぎてトレーニングが出来なくなり、結果レベルアップしていかないというくだりです。
大人が加熱しすぎて、主催者側はポイントレースを過剰に用意し、選手の指導者もレースエントリーがつい多くなり、当の選手にしてみればレースだけでシーズンが終わってしまうということです。
現行の制度上、ポイント獲得の機会は大切なのですが、やはりバランス感覚は大切でしょう。
目標があり、それに必要なトレーニングがあり、結果がついてくる。(ついてこないこともありますが)
社会人になると生活がありますので、なかなかバランスを取ることが困難になり、ぶっつけ本番レースという方も多いことでしょう。(かくいう私もそんな状況です)
若いうちはまだチャレンジできます。だからこそ目標に向かうバランス感は重要になると思います。

今年のゴールデンウィーク中、スポーツ関係のニュースをにぎわせていた話題は、高校野球の特待生問題でありましょう。
学生野球憲章に違反するとして、「野球に関しては」学費免除など特待生の制度はイケナイというものです。
高野連の説明によれば、野球には「長い歴史」があり、過去において「行き過ぎた選手獲得行為」があったというのですが、マスコミの論調は「今の時代にそういった憲章があっているか否か?」という疑問を投げかけていました。
確かに、数あるスポーツ種目の中で野球ほど早くからプロ化が確立し、高校野球など学生の全国大会が全国民的に注目されるものは他にありません。
これだけ大掛かりな存在になると、実態は置いておいて、「公平さ・公正さ」が要求されるものです。
そのための憲章と言えなくもありません。
しかしです。
元来スポーツを行うということは実に不平等なものです。
環境も不平等、行う個人の才能も不平等です。
個人の才能に恵まれていても、環境が不足していた場合、「イケナイ」といわれている特待生制度が役に立っていたとは考えられないでしょうか?
WBCでの初代王者が日本であったこと、アメリカMLBでの日本人選手の活躍など、多くの才能の発掘に貢献していたと思うのは私だけでしょうか?


さて、スキー競技はどうかというと、トレーニングの環境を作るだけでも野球とは比べ物にならないくらい多くの手間と費用がかかります。
場所も然り、マテリアルも然り、コーチなど人的な面も然り、という具合です。
世界レベルを考えれば、本当は「特待しまくり!」ぐらいでないとなかなか追いつけないのではないでしょうか。
しかし野球と違って、日本国内ではレジャーとして産業が確立しているスキーですが、競技自体が産業として確立しているとはとてもいいがたい状態です。
ヨーロッパのように競技自体が注目を集めなければ、世界レベル目指して特待しようにも元手がないということです。
かくなる上は、志のあるパトロン・スポンサーの出現(あるいは創り出されること)を待たねばならないのでしょうか。

かつて6月頭に各社で開催されていたユーザー向け展示会でしたが、昨年数社共同という試みが行われ今年も同様に行なわれるようです。
もっとも以前から、「各社別会場回るのは大変だよ」とか「I〇IのカスタムFでどうせ全社見られるから(グッズも含めて)そっち行こう」などと言われていました。
これはスキー板のカービング化が進み、グッズの方は新しい話題が絶えなかったのに対し、ウエアの方はなかなかそういった話題を生み出せなかったことも影響しているでしょう。


さて、生物の進化に関する学説で、環境が生存するのに厳しくなると生物は寄り添い共生を始めるというものがあります。
これは例えば、地球上に酸素が増えたとき、ほとんどの生物(細胞)にとっては酸素が毒だったのに、わずかに存在した酸素を呼吸できる細胞を取り込むことで、環境変化に対応したということが挙げられます。
全く相容れない存在のはずだったのに、環境が厳しくなるとその垣根を越えてしまうという現象が起こるというのです。


なぜそんなことをお話したかというと、スキー業界ではまさにそのようなことが起こっているように感じたからです。
かつてスキー産業が繁栄していた頃は、個々の企業がそれぞれ活動していました。
同業他社は競争相手ですから、「一緒に何かやるなんてとんでもない!」という感じだったと思います。(現場・担当レベルでは各社意外と仲が良かったりしますが…)
取り巻く状況が厳しくなると、そんなことも言っていられなくなり、寄り集まって共生しながら活動するようになってきました。
自分の会社だけ何とかなればというレベルではなく、業界全体の落ち込みをみんなで何とかしなければならないという発想に切り替わっているのです。
昨年までは主に経済的な環境の厳しさでしたが、今年は暖冬で各社非常に厳しい状況になっているものと思われます。
ここにきて、合同のイベントにはスキー連盟も参加して、温暖化防止という自然環境の変動もテーマになっているようです。
未曾有の環境変化が予測され、将来スキーを続けられる環境が維持できるかどうかという心配が出てきているわけなのです。
我々はこの危機を生き延びることが出来るのでしょうか?淘汰されてしまうのでしょうか?

ちょっと前ですがTVを見ていたら、小学校の先生が「ここ最近入学してくる児童は以前よりも幼くなった」といっていました。
そのため、小学校一年生のクラスではまずちゃんと席につかせることから指導しているというのです。
その番組では先生が二人掛りで、立って歩き回る子供たちを席につかせていました。
自分が一年生の頃は記憶も朧(おぼろ)ですが確か皆、席には座っていたと思います。
就学前に最低限の社会性が身についていない子供が増えているというのが、学校現場での見方のようです。
現代では家族の人数も少なく、一人っ子であれば兄弟喧嘩もできなかったりしますので、社会性を身につけるとするならば今の子供は圧倒的に不利な環境に置かれています。


もうひとつ私が思うのは、子供時代に人工的な環境で過ごす時間が多すぎるのではないかということです。
まず室内の遊びが増えたということがあるでしょう。
私達が子供の頃も「テレビばかり見てないで外で遊びなさい」と言われたものですが、テレビ番組は時間がくれば終わります。
今はエンドレスで楽しめるゲームがあるので、文字通りエンドレスで室内遊びが可能になってしまいました。
さらに世の中物騒だということで、子供にGPSつきの携帯など持たせる家も多く、親の目の届かない屋外で遊ばせるなどとんでもない!ということもあるでしょう。
しかし、そういった「障害」を乗り越えて外に遊びに出ても、今では屋外も人工的な環境が出来てしまっているといえないでしょうか。
単純なお話です。
かつては不定形の土の地形が残されていたのに、今では人工的な平面のコンクリートや金属に囲まれてしまっているのではないでしょうか?
例えばそんな平面にボールを投げても、当然平面ですから単純なバウンドで返ってきます。
自然の地形に投げれば、イレギュラーなバウンドになるはずです。
簡単に予測のつかない、自然の環境を良く観察しなければ予測など不可能でしょう。
思うように行かない複雑な自然を体感し、予測する高度な能力を養う機会が今の日本ではほとんど奪われてしまったのでしょう。
そんな環境におかれているお子様方にはスキー体験をお勧めいたします。
シーズン中も時期によってスキーを行う環境は変わります。
更に刻々変わる雪質、朝と午後では全く異なった状況になることも珍しくありません。
そのような不安定な中でも最適なパフォーマンスを発揮するには自然に対する洞察力が必要となり、自分本位の身勝手な発想など無意味なものだと悟り本当にたくましい人間に成長することでしょう。

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