説教の記録(161-170)


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161:2007年7月1日「偽装はいけませんが」

162:2007年7月15日「敷居が高い?」

163:2007年8月1日「個性的なウエア」

164:2007年8月4日「競技用途としてのウエア」

165:2007年8月19日「千の風になって」

166:2007年9月2日「仕組みとコンテンツ」

167:2007年10月17日「スキー雑誌とDVD」

168:2007年10月28日「スキーと興行」

169:2007年11月18日「温暖化と冷え込んだマインド」

170:2007年12月22日「緩斜面での早さ」

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食肉の加工業者で不正があったということがニュースになっていました。
ソーセージなど水で増量という話は以前から聞いたことがありましたが、豚や鳥の肉を牛肉としたり期限切れのものを混入するなどというのは明らかな偽装であり糾弾されるべきでしょう。
私が報道を見ていて一番印象に残ったのは、渦中の社長が捨て台詞のように「冷凍食品を半額で喜んで買っている消費者も悪い」(記憶曖昧)と言っていたことです。
消費者への責任転嫁とも取れますが、ある部分業者としてのの本音でもありましょう。
いずれにせよ人を騙すような行為は許されません。


現代は自由な競争がよろしいということになっています。
同じ商品ならより安く提供できるのが正義であり、価値があるとされています。
今の日本では「無理やり」安く提供せざるを得ない状況があり、いろいろな部分でひずみが生じているのでしょう。
スキーの世界でも為替が円安傾向になっているため、輸入品が多いスキー用品は日本国内では値上げしないと利益が確保しにくい状況です。
特にユーロが高く、ヨーロッパの会社が多いスキー業界は本当は影響が大きいはずなのです。
今の日本ではまだまだ「値上げ」は非常な勇気がいる決断でしょう。
そんな状況で頑張っている関係者の努力(と我慢)には頭が下がる思いです。

某SNSのスキー関係コミュニティを見ていたときに、「レースはやってみたいけど、どこでどうやって始めたらよいのか?」というような書き込みがありました。
レースでなくても、スクールはどんなところに入ればよいのでしょう?などといっている方もいます。
確かにそれをやらない人にとって、レーサーはワンピは着てるは、メットやプロテクターをごてごて着けてるは、ちょっと特殊な雰囲気があるのは否定できません。
また、レースの会場ではそんな人たちが集まっていますので近寄りがたいといわれることもあります。


どんなスポーツも競技性が高くなれば独特の空気感が出来てくるものですが、スキー場という場所は面白いことに競技性のまるでない人と、競技性の高い人がすぐ隣あったりする空間です。
これは競技性のないレジャースキーヤーが、競技としてのスキーを目にする機会が多いということです。
考えようによっては、レジャースキーヤーをスキーに深入りさせるチャンスがスキー場にはゴロゴロしているともいえます。
スキー場においては、競技者もまわりの人にフレンドリーに接することが地道なスキー発展につながるのかもしれません。
レーサーの信者の皆さん、パンピースキーヤーを怖い目でにらんでいませんか?

某アウトドアショップのHPを見ていたら、色々な話題でコラム記事がありました。
その中にアウトドアファッションに関する記事が1本入っていました。
中高年登山者のファッションに苦言を呈すという趣のものです。
メーカーお仕着せの登山ウエアばかり着ていてファッションセンスのかけらもないと主張していました。
街着と山着を区別するのはやめましょう、街で恥ずかしくて着られないものを山で着るのは止めましょうという具合です。
「そりゃ、そーかもね」と思って読みましたが、そこにはそれだけでは割り切れない問題があると思いました。
スポーツというのは専門性が高まると、それ独特のスタイルが出てくるものです。
機能性を表現すると、普段着とは違ったものが出てくるのは当然でありましょう。


そういった部分を論評するのもフェアではないように思いますが、一時はスキー界でも同じような話はありました。
「デモンストレーターが着るような派手なウエアを皆で着ていて恥ずかしくないのか?」
「もっと、個性的でおしゃれなウエアを着ようじゃないか!」
というような内容でした。
トレンドだからということでメーカーが大量生産したウエアが量販店で大量に売られていた時代です。
ゲレンデに行けば「売れ筋」ウエアを着たスキーヤーであふれていました。
現在と違ってインターネットという情報源もなく、せいぜい雑誌で見て店に探しに行く状態で、その雑誌自体も数社しかないのである意味情報統制が非常に利いていたわけです。
そんな中で「個性的なウエアを…」などと言っていたのは、雑誌の記事か、他との差別化を目指していた一部ショップの方々が多かったと思います。
それも、同じ売れ筋商品ばかり置いていたのでは店として規模の大きいところが有利になる一方なので、そのカウンター的な動きであったとも考えられます。
スキー界でそんな議論をしているうちに、気がつくと街着と山着を区別しない層はスノーボードにごっそり移ってしまいました。
とはいえその後、スノーボードもボリュームが大きくなると「みんな似たような」ウエアが多くなったりしますので、時代は同じようなことを繰り返しているとも言えるでしょう。

前回の説教で、かつて「おしゃれで個性的なウエアを!」という主張があったという話をさせていただきました。
その中で一部触れましたが、スポーツというのは専門の機能性を表現すると普段着・街着とは違ったものになってきます。
チームスポーツでのユニフォームしかり、競技で規定のあるものというのも多数存在します。
言うまでもなくレジャーとして行うか、競技として行うかでだいぶ違ってきます。


基礎スキーはそれほどでもありませんが、アルペン競技スキーのスタイルといえば、レーシングワンピースであり、ヘルメット、プロテクターなど普通は使わないものばかりです。
これらは実用上・ルール上必要に迫られて使うものばかりで、レジャースキーヤーから見れば「奇異」なスタイルになるのは致し方ありません。
しかもここ20年でその度合いは大きくなっています。
その要因は
・素材など技術の進歩でより「結果を出すための」高性能なウエアに変化した。(例:セーター+パンツ→ワンピ)
・可倒式ポールやマテリアルの進歩でスキーの競技性が激化、プロテクターなどが必要になった。
・スポーツがビジネス化して、選手は結果を求められるようになった。そのためにはなり振りかまわなくなった。


こういった状態でスキーが認知されようとするならば、一般人の目には慣れていただくしかありません。
テレビなどで映像を流してもらうのが現時点では最も効果的でしょう。
突飛と思われるスタイルで行う競技も「そういうものだ」と認知されれば第一段階はクリア。
これはトップ選手の活躍と表裏一体の関係でもあります。

秋川雅史の歌う「千の風になって」がクラシック系楽曲としては異例の100万枚セールスを記録したとNHKのニュースで報じていました。
調べると以前から何人もの方がCDを出していたようですが、昨年の紅白歌合戦で全国区に「発掘」されたわけで、NHKでとりわけ大きく扱うのもむべなるかなというところです。
音楽を売り出そうとする方法論で、私たちがよく目にするのは、別分野とのタイアップ(ドラマ、アニメ、CM、はてはパチンコなど)だったり、TV番組ローラー
作戦だったりします。
実際にお客様の反応を見る前に「これはヒット間違いなし!」とでも言うようなプロモーションです。
「千の風になって」が異質に見えるのは、そういった必死な仕掛けがあまり感じられないのに、これだけのヒットにつながったという点でしょう。
そのものの自力があったものが、ひとつのきっかけで表舞台に出たわけです。


スキー界でもわれらがブリザードは、「千の風」タイプかもしれません。
その性能、クオリティがトリノの銀メダルをきっかけに認知されました。
佐々木明選手も勝つためにクオリティで選びました。
モノに自力があれば、無理なプロモーションがなくとも自然に認知される一例といえましょう。

世界陸上の女子マラソンで土佐選手が3位銅メダル獲得しました。
しかし世の中、世界陸上の話題で盛り上がっているとは言いがたいようです。
先日私は電車に乗っていました。
ある男性がスポーツ新聞を見ていまして、その見出しが目に入ってきました。
「呪われた世界陸上ポスター」とか出ていたと思います。
日本の有力選手4人と、メインキャスターの俳優が戦国武将の格好でキメていたやつです。
私も新宿で大きく引き伸ばした看板を見かけたことがあったので、「ああ、あれか」とすぐに分かりました。
新聞記事の内容は、ポスターに出ている選手が次々期待を下回る成績で競技を終え、次はメインキャスターが…というような話でした。


ビジネスでは仕組みが大事といいます。
「売れる仕組み」「成功する仕組み」とか、「新しいビジネスモデル」を作るという話はよく聞きます。
「仕組み作り」それ自体が立派な仕事・職業になってしまうのが今の時代と言えるでしょう。
陸上の選手に武将のコスプレをさせるポスターというのもかなり悪ノリとは思いましたが、仕掛けている当事者の方々は真剣に「売れる仕組み」を作ろうとしているのは理解 できます。
しかし陸上競技に限らず、大掛かりなプロモーションを打って「売れる仕組み」を作ってみても、選手の活躍がなければどうにも盛り上がりません。
仕組みも大事ですが、仕組みに感動するのではありません。
人は内容、コンテンツに感動するのです。
そんなことを再認識しました。

ジャーナル、グラフィックといったスキー専門誌の最近の傾向は一言でいえば「ことごとくDVD付き」ということになるでしょう。
オマケ、付録をつけて価格を引き上げているという見方もできますが、ここではシンプルに映像をつかって動きを立体的に見せようという努力の現れとしておきましょう。


以前の説教でスキー雑誌の技術解説の記事について、使われている写真が前方から撮影されたものが多く縦の動きが見えにくいという問題を提起したことがありました。
またタイミング、スピード感などスキーの魅力のエッセンスは連続写真で表現することは困難で、たしかに動画の方が動きの流れが見えます。
当教会の説教が影響しているとは思いませんが、偶然にも説教の内容が具現化しているようです。


ただ、滑りの映像の内容は有名基礎スキーヤーのものが圧倒的に多くなっています。
これも取材・撮影の都合を考えればそうなりがちになるのも容易に想像できます。
しかしです、どうせなら世界のトップスキーヤーの映像を見せる方が意義があると思いますがいかがでしょうか。
お手本はハイレベルなことに越したことはありません。
それによってスキーヤーの技術に対する目線も上がってくると思います。

このところテレビなど見ていると連日のようにボクシングの亀田問題を取り上げています。
今までは記者会見などで非常識とも思えるパフォーマンス、挑発行為を行い物議をかもしてきました。
それでもボクシングの試合には多くの観客が押し寄せ、出演したテレビ番組は軒並み高視聴率…ともなれば周囲はあからさまに持ち上げてはばかりませんでした。
ところが試合の場面で実力ではまるでかなわないと思うやいなや、前代未聞の反則行為という低レベルの展開であっさり敗北。
すると周囲は手のひらを返したようにバッシングを始め、亀田家の人々は今度は人が変わったかのように丸刈り頭で謝罪会見を開く。
…と、ここまでの経緯は皆様もよくご存知のとおりでしょう。


スポーツマンとしてどうなのか?という話もありましたが、あるテレビ番組ではマスコミが持ち上げるだけ持ち上げておいて、負けたり不祥事があればバッシングに回り、それでまた話題性を煽ってさらに視聴率を稼ごうとしています。
もはや、他の種目でも散々目にしていることであきれてしまう他ないのですが、この一連の展開には興行的側面が大きく影響していると思われます。


例えば、なぜボクシングのような殴り合い行為を職業的スポーツとして行うのかといえばこれは金になる、収入になるからです。
より多くの収入を得ようとするならば、より多くの人数に注目してもらうことが必要です。
ビジネスとしてスポーツを扱おうとするならば、とにかく多くの人の目をひきつけなければなりません。
多くの人々の関心を惹くことができる種目ほど、経済的に豊かであるといえましょう。
ただし、スポーツ競技自体の実力は伴っていなければなりません。
要は両者のバランスだというところに話は落ち着いていくとは思います。


そう考えたとき、スキー競技は興行的な部分でまだ工夫の余地があるような気がしました。
ワールドカップでも、年々競技種目やルールに新しい工夫(ナイターレース、スタート順…)がありますが、それは海外の話。
日本国内に関しては、開催するだけで精一杯という状態で、それがまた興行的成功から離れてしまう要因になっているように思います。

先日、久しぶりに神田、御茶ノ水のスキー街へ行ってみました。
想像していたよりスキーヤーが多くやってきていたように見えました。特にグッズ売場にお客が多かったようです。
すでに人口雪でオープンしているスキー場も数箇所あり、熱心なスキーヤーの方々は足慣らしに行く季節ですのでもう滑るつもりなのでしょう。


しかしながら一般スキーヤーのマインドはかなり冷え込んでいると思われます。
これは、私が仕事でお話させていただくスキーのお客様の口からじかにそのような言葉が出ているからです。
特に昨シーズンの年末年始は記録的な高温で雪もなく、マスコミも連日のように「暖冬」、「地球温暖化」と連呼しています。
すっかり人々の中に「温暖化」「雪不足」が刷り込まれてしまったのです。


いまや、スキーの業界は若者が新規にスキーヤーになることにはまったく期待をしていません。
学生時代にスキーに親んでいたが、その後仕事が忙しくなり家庭を持ってスキーから離れてしまった人々が子供連れで戻ってくることをひたすら待ち望んでいます。
その子供たちが新たなスキーヤーとして層を作りうるのかは後10年くらい経たなければ検証不可能でしょうが、「ボードなんかより、スキーの方がかっこ良い」という時代が来るかもしれません。
しかし、そのときになって使えるスキー場はどのくらい残るのでしょうか?
温暖化で営業できなくなるスキー場が何割か…という研究もあるそうです。
ならば、温暖化防止のアクションを皆で起こさなければならないのではないでしょうか。

先日大怪我をしてしまいましたが、今シーズンWC序盤戦のスヴィンダルの滑りは際立っていたように見えました。
私が興味深く思ったのは、大回転のレース中、緩斜面でタイムを稼いでいた点です。


「急斜面が得意」、「緩斜面が得意」などという話を聞きますが、何でそういう結果になるかを深く考えることはあまりないように思います。
一般的な感覚では単純に「上級=急斜面」というイメージで考えられていることも多いことでしょう。
一般的レベルのスキーヤーにとっては、急斜面についていけるよう身体を落とすだけで精一杯、緩斜面はそういったアラが目立たない、という感覚が強いと思います。
ここで問題にしたいのはそれとは別次元のお話で、一見差が出にくいと思われる緩斜面でいかに差が出るのかということです。
スヴィンダル選手は明らかに緩斜面でタイム差を拡げていました。
急斜面は勿論、緩斜面でも良いポジションをキープしてしっかりスキーの板に乗っていました。
そうすることでターン中の板のたわみを引き出し、反動で加速につなげているものと思われます。
種目は異なりますが、スラロームの1、2戦での佐々木明はそれとは対象的な状態であったと言えるでしょう。
急斜面で割と良い具合に身体が落下していたにもかかわらず、緩斜面で「追いつかれてしまう」展開でした。
これがもっと正確にスキーに乗り続けていたならば、より上位になっていたことでしょう。
まだ不安定さが残っていたと感じたのは私だけではないでしょう。


スヴィンダルはじめ、ノルウェーの選手に見られる共通の特徴はとにかくポジションが正確という点です。
ノルウェーに息の長いオールラウンダーが多いのも、「正確なポジョンはアルペン全種目共通の基本」ということを示していると言えます。
また、日本人が高速系種目で活躍することが少ないのも、こういったことが影響しているような気がします。

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