説教の記録(181-190)


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181:2008年7月10日「ルールぎりぎりと政治力」

182:2008年7月12日「洞爺湖サミット閉幕―便乗イベント」

183:2008年7月15日「偽装事件の影響」

184:2008年8月16日「五輪と経済合理性」

185:2008年9月19日「はやりの安全・安心」

186:2008年11月5日「連盟の努力とは」

187:2008年11月30日「役所のPRイベント」

188:2009年1月1日「2009年新年のごあいさつ」

189:2009年1月28日「基本が大切な時代」

190:2009年2月20日「ポールとパーク」

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前々回の説教でS社の水着に関して触れました。
ウエアでの圧倒的なアドバンテージによって、北京五輪はレーザーレーサーのワンメイクに近い状態になりそうです。
これは私の推測ですが、競泳以外の種目でもウエア開発が見直されていく可能性あるでしょう。
ルールに抵触しないぎりぎりの高機能ウエアで人間の能力をサポートするという視点はもはや外せないと思われます。


競技スキーウエアもルールはありますが、今まで気がつかなかった視点からの開発があるかもしれません。
いや、まともに世の中を見ているメーカーならばもう色々アイデアを練り始めていることでしょう。
(日本のメーカーもそういった開発を始めていることを祈ります)


さて、競泳水着でS社に完全に「やられた」格好となっている日本メーカーですが、シドニー五輪のときはM社開発の(Sブランド)さめ肌水着がメダルラッシュを演じていました。(その後、禁止になりました)
それだけの技術・実績を持つ日本メーカーですが、今回のレーザーレーサーまでの内容はルール抵触の恐れがあるとして検討項目には入れていなかったようです。


ここで気になるのが、S社が国際水連の公式スポンサーということです。
ルールを作る連盟と最も近い位置にいるメーカーがS社ということで、ルール上グレーゾーンであるものをシロと判定させたのではないかという疑惑(?)は拭いきれません。
ここから得られる教訓は、開発した新機軸がルールに抵触しないという環境づくりも大切であるということだと思われます。
開発された製品と同等かそれ以上に重要ともいえるのが「政治力」でしょう。
それは欧米人の得意とする分野であり、日本人の最も苦手とするところです。
毎年夏になると感じますが、無差別爆撃や原爆使用が非難されず、日本は非難され続けるという近代の歴史までもがそれを証明しています。

洞爺湖サミットが無事終了しました。
温暖化など環境問題を第一の議題とするという話でしたが、2050年に半減というアバウトな宣言を出すところまでで力尽きてしまった感があります。
スキーヤーが気になる原油高騰対策に至っては、「速効性のある策」はない状態です。
どう考えても、スキー産業に対しても逆風は続き、業界はじっと耐えるしかなさそうです。


気になったのは報道を見ると、この機会に「北海道」をアピールしよう!という動きがあまりに空回りしていたということです。
警備上都合のよい場所ということで、普段人のあまりいない山の上にしたはずです。
前回が南の沖縄だったから、今回は北の北海道にしたという程度のことだと思うべきなのではないでしょうか。
各国首脳は非常に難易度の高い問題を話し合う仕事のために来ているわけです。
各国報道陣も、そういった結論を出すのが極めて難しそうな議題の行方を自国に伝えるという仕事のために来ています。
TVなどマスコミの取り上げ方が悪いのだと思いますが、なんでもかんでもバラエティ的、イベント的にしてしまうように見えました。
地元の方には申し訳ありませんが、サミット期間中にいろいろ商売・イベントを仕掛けてはみたものの、みんな「遊んでいる暇はなかった」ということなのではないでしょうか。
もっとも、近年のサミット自体がイベント的になってしまって、大国の偉い人が大勢集まって仕事しても、コレといった結論が出ない会議になっていますが…。


スポーツのイベントでも、日本で大きなものがあると「この機会に便乗して」いろいろ盛り上げようとする人が出てきます。
まあ「積極的でよい」という評価もあるでしょうが、あまりにも本体のイベントからかけ離れてしまうと、滑ってしまうだけだと思います。

最近、日本中で様々な偽装が明らかになっています。
特に食品関係の産地偽装、賞味期限偽装などはどこまで業界にはびこっているのかさっぱりわからないほどです。
ここ数年で数々の偽装が発覚し、偽装した企業は廃業など高い代償を払っていると知っているはずなのですが、無くなりません。


しかし、看過できないのが、こうした事件が露見したとき「みんなやっている」とか「たまたまばれた」という意味の企業責任者の発言です。
これでは「この業界全体では偽装するのが普通」「ばれなければ不正を働いてもよい」「経済的に苦しくなれば偽装もやむなし」と考えているということになります。
こんな内容が連日報道されれば、青少年は「あんな大人に言われたくない」と思うことでしょう。
さらに教師の採用にも不正があったことが発覚、校長と教頭、教育委員会参事が逮捕されるという事件まで起こっています。
ここまで来てしまうと「正直に頑張るよりも、不正をしてうまく切り抜ければ得をする」と考える子供がいても説得力のある教育はできなくなるでしょう。


まずは正直に頑張ること。それでも良い結果の出ないことは世の中たくさんあります。
それを知恵を絞って(不正なことはせずに)克服していくのが大切なことだと思うのです。
スポーツをする青少年にも悪い影響が出るのではないかと心配になる昨今の風潮です。

北京五輪まっただ中です。
メダルラッシュ!とはいかないまでも、日本選手団全体である程度の成果は出ているとみるべきでしょうか。


さて、今回多くの競技で代表選考の際に導入されていたものに「派遣標準記録」という制度があります。
日本国内の選考会で一番になったとしても、「世界で勝負できる記録」が出なければ代表選手になれないというやり方です。
「オリンピックは参加することに意義がある」と言われてきましたが、今やそんなきれいごともあっさり忘れ去られようとしています。


確かに目標メダル数などが公表され、現実との乖離が激しいと世間から叩かれてしまうということもあるでしょう。
しかしこの裏には、資金が限られているがゆえに、メダルを取れる競技、選手に集中させようという意図が隠されているのです。
バブル崩壊から長い低迷期を経て、やっと景気回復してきたと(マスコミに)いわれてきましたが、その回復過程には徹底した効率化が含まれています。
企業のスポーツに対するサポートも「費用対効果」という名目のもとに根本からの見直しが行われ、「効果なし」と判定された競技、アスリートはどんどん切られていったのです。
そして今度はオリンピック委員会も、そうした発想を取り入れ「費用対効果の高い選手選考」を行っているわけです。
(実際、10日発売のSグラフィック誌に、そうなるとアルペンスキーの女子は五輪に派遣されなくなる恐れがあるという記事が載っていました)
スポーツの世界、それもトップアスリートの分野は完全に経済合理性のルールに支配されているのです。


結果を出したものにさらなる期待を込めてサポートが集まる。
もちろんこうしたパターンが多いのですが、重要であり難しいのが「実績はないが可能性があるもの」に対するサポートでしょう。
今回フェンシングで銀メダルを獲得した選手に職がないという現実は、そういった経済合理性重視の抱える問題点が現れていると見ています

食用に適さない、いわゆる「事故米」が食用に販売されていた事件が報道されています。
いまや「安全・安心」が脅かされている!と世の中大騒ぎです。
今回の事件の場合、自分で見極めようにも加工されたり給食で提供されたりしているため、私たちがリスク回避できないため悪質とされるのでありましょう。


現在は食品に限らずどんな商品でも「安全・安心」というキャッチフレーズをつけたがります。
口に入るものは当然ですが、ややもすると「こんなものにも?」と思うようなものにさえ「安全・安心」がついて回っています。
ある意味流行とも言える現象でしょう。
スキーの世界において「事故米」のような偽装はやろうと思ってもなかなかできないとは思いますが、「安全・安心」はトレンドからしてついてまわるものと考えた方がよいでしょう。


さて、このように世の中のトレンドとなってしまった「安全・安心」ですが、よくよく考えてみると「安全」と「安心」は同じベースに立った事柄ではありません。
抽象的な話になりますが、「安全」とは客観的な状況を指しますが、「安心」は当事者がそのように主観的に感じるかという問題です。
それは個々人が「安全」であるか認識できる状況であるかが問題となります。
「安全」は自分の努力で見極めるしかなく、「安心」できるかはその先個々人の感じ方でも変わります。
「安心」できるかどうかは現代においては何ら保障されていないと考えるべきでしょう。


今現在、「安全」が問題になるとすれば、スキー場設備面だとは思いますが、もとよりスキーに関して絶対的な「安全」はありません。
マテリアルを「安全」に使いこなすのもユーザーの使い方次第です。
ゲレンデ(山といってもよい)を「安全」に滑降するのもユーザー次第といえます。
昨今の事例から読み取れるのは能動的に「安全」をユーザーが追及すること、その結果「安心」できるかはその次の問題であるということです。

先日、仕事でスキー場関係のイベントを回りました。
とある会場で元選手の方がブースを出していたので、ちゃんとした面識はなかったのですが声をかけてちょっと話をしてみました。
その話というのは、現在スキーの選手がトレーニングをしようとしたとき、非常な資金難に直面するというものでした。
スキー関連の企業が景気悪化とともに資金提供ができなくなり、それがトレーニング環境の悪化に直結している。
実際SAJという団体があるものの、その状況をフォローする活動はできていないのが現状である…。それどころか連盟役員の会社に●×や■△なことが…などということまで。
いやはや、なんとなく想像はしていたものの、そこまでヒドイとは…と驚いた次第です。


私が直観的に感じたのは、連盟が非常に「お役所的」なものになっているという感覚でした。
従来のやり方で済ませるものなら済ませてしまおう、自動的に集まるお金をただ使うだけ、既得権益は最大限守ろう、入る金が少なくなればとりあえず出る金をカットしてしまえ…などなど、お役所のネガティブなイメージが浮かんできたのです。
もっと厳しく申せば、どこかの田舎の町内会のようなものがただ膨れ上がってスポーツの看板をつけただけと思われても仕方がありません。


チームマイナス6%に参加したりしていますが、それも政府レベルのキャンペーンにただのっているだけにしか見えません。
温暖化で雪が無くなる前に、今現在世界レベルの選手の活動資金が無くなっているのです。
世の中悪い中でも「うまくいっている」人や企業はあるはずです。そいったところと協力関係を模索するなど仕事はたくさんあると思います。
スキーの狭い世界で固まっていないで、もっと広い世界を相手に活動されることを期待したいと思います。

秋はスキー場のPRイベントが多数行われます。
いくつかのイベントを見ましたが、大体パターンは定まっているようです。
スキー場紹介パンフレットをお客さんに配る、抽選会で各種景品が当たる、格安前売りリフト券の販売(いわゆる早割券)、グッズ・ウエアのセール会場併設…など。
そこには、イベント業界ともいうべきビジネスが存在しています。
イベント内容がマンネリ傾向にあるようではありますが、それはここでは良しとしましょう。


困ったものだと感じたのが、県や市町村の動きです。
予算を使うことに一番神経を使って、その活動をするとどれほどの効果があがるかは二の次になっているように見えます。
おそらく、民間企業の基準でみて十分な検証もなされていないことでしょう。
挙句の果てには、自治体の財政状況が厳しくなってくると、真っ先に削減対象になることもあるようです。
コスト・支出のカットだけで帳尻を合わせる手法はすでに限界にきていると見るべきで、発展のための資金までカットすれば更に衰退は加速するのです。(ムダはいけませんが)


スキー場がすべて大資本のもとに運営されていればまだ、自力のPR活動もまだできましょうが、経営規模の小さいスキー場が存続しようとするならばそれも困難でしょう。
そういったところを補強するのが自治体の「観光」ナントカといった名前の部署の仕事だと思います。
しかし、あまりにもソフトがない。資金(予算)をどのように使うと効果が期待できるかアイデアがない。
民間に聞くことがあっても、それはイベント会社くらいなもの…(イベント会社はイベントを開催してそれで収入があればよいのです)
本当に話を聞くべき相手に聞いていない状態が続いているのではないかと危惧しています。


結果、某県のようにスキー場が次々と無くなっていくという状況が発生するのでしょう。
無くすことでムダをカットできたとして評価している人は、それが一つの産業の消滅を意味していることに気づいているのでしょうか?

新年明けましておめでとうございます。
2008年は未曽有の景気大減速で幕を閉じました。
かつて「バブル崩壊」なる現象からスキー業界の売上落ち込みには数年のタイムラグがありましたが、今回はもっと直結したものではないかと危惧されています。
しかし、環境に対する関心は依然高いままで、そういった観点から考えると自然を相手にするアクティビティはそう落ち込むものではないという見方もできます。
人間の世界で勝手に作った経済の浮き沈みで一喜一憂しているしている人たちに、晴天の雪山の眺めを見せてあげたら何人の方が救われるのでありましょうか?
現実逃避するのではなくて、人間社会の現実はこの世の現象の一部でしかないということを知れば心の持ちようも変わってくるものと思うのです。
その時には足元にブリザード…というわけです。

今期のWCスラロームの映像、リザルトを見ておりますと、見ていて「安定感」「安心感」のある選手が好成績をあげているように見えます。
ちょっと前には「リスキーに見えるけどゴールするとタイムはすごい!」というタイプの選手が話題になっていましたが、今では「リスキーに攻めると」たいがいゴールしていません。
いや、「ゴールできてもタイムもたいしたことない」というのが現実ではないでしょうか。


現在のポールセットは難易度も上がって、「とにかく突っ込んでタイムを出そう」としてもそうはいかないと思っています。
まずは崩れることのない安定したポジションを保持できることが前提。
その上で高度に洗練された運動で、ラインを極限まで攻めていくという選手でないと結果を残せていないということでしょう。
M・プランガーも気合だけでなく、ポジションの安定感ができて滑りがコンパクトになって初めてトップに絡んでいるようです。
私たち一般レベルのスキーヤーも基本ポジションを大切にしていきたいものです。

ちょっと前の話ですが、仕事でスノーボードのお店を訪問した時に聞いた話です。
今、スノーボード商品のほとんどがパーク用で、若いお客もほとんどパークで飛んだり跳ねたりして楽しんでいる。
ところが、そうした若いお客はパークで自分の限界を感じるとスノーボード自体まるっきりやらなくなってしまう…というのです。
本来、スノーボードというのは雪山をサーフィンのように滑ることが原点で現在もその部分の楽しみは変わっていないはずだから、今は少数派でもそうした楽しみを提案して いるという話でした。


ふと私は、スキーのポールでも共通した現象があるように思いました。
子供にレーシングスキーをさせても、なかなか結果が出なければその本人がやる気を失ってスキー自体やめてしまうという話を聞いたことがあります。
非常にもったいない現象が期せずしてスキーもスノーボードにも発生していたようです。


やはり、山を滑ること自体の面白さを再認識することが大切なように思いました。
自然相手なら、人間が仕掛けた環境以上に多様なシチュエーションが存在します。
逆にそうした多様なシチュエーションで滑ることができれば、ポールもパークもより深く楽しめるでしょう。
ポールやパークで疲れたらリハビリ的な意味で色々な場所を滑ることも有効だと思います。

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