説教の記録(201-210)


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201:2010年3月2日「番狂わせにもポテンシャルが必要でしょう」

202:2010年3月15日「アクセス10万件御礼」

203:2010年5月25日「激変するオールラウンドモデル」

204:2010年7月26日「動けないのがスキー場」

205:2010年9月14日「スキーとウイスキー」

206:2011年1月1日「2011新年のご挨拶」

207:2011年2月7日「内輪の戦い」

208:2011年2月15日「ロッカーと基礎技術」

209:2011年4月10日「大震災」

210:2011年5月16日「難解な技術選」

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バンクーバー冬季オリンピックもあっという間に閉幕しました。
日本人に関してはやはりメダルラッシュなどと言える状態ではなく、微妙な「がんばった」的なコメントがTVなどであふれているようです。
全体的には「前回のトリノに比べたらだいぶ良くなった」という評価で落ち着かせようという意図すら感じます。


また、「スケート競技はメダル獲得数を増やしたが、スキー競技はまたメダル獲得はならなかった」という意見も出てきそうです。
ひとつ指摘しておきたいのは、スケート競技よりもスキー競技のほうが自然環境に左右される割合がはるかに高いということです。
アルペン競技においてオーストリア男子がメダルを獲得できなかったというのは、これまでのWCの状況からはなかなか予想できなかったと思います。
世界のトップグループはその実力が接近しているため、自然条件によってすぐに順位が変動してしまうという現象が起こっていたのでしょう。
ただし、日本の選手に関してはWCの戦績を上回るような結果は五輪でも出せませんでした。完全にトップグループからは取り残されてしまっているのです。
アルペン競技には番狂わせがあり得ますが、それもある一定以上のポテンシャルがあっての話です。


ノルディック、特にジャンプは風の具合によっては可能性があったように感じましたが、アルペンに関しては残念ながらそのようには感じませんでした。
連盟・関係各社にお金がないのはよくわかっています。…が、どうも「お金がないから仕方がない」「足りない分は削減するしかない」という発想に偏っているのではないかと推測します。
状況が悪いからといって、縮小均衡だけで乗り切ろうとしても多くの場合はうまくいきません。新たな発想の導入が必要であると思います。

本日アクセスカウンターが80,000件を超えました。
先代のカウンターが約20,000件でしたので、合わせて10万件という数になりました。
ネットの世界ではブログやSNS、ツイッターなど次々に新たなサービスが現れる中でHTMLを編集している古典的な作りの当教会ですが、2001年の10月に開設して以来10年目に入りました。
この間、私自身を取り巻く環境も激変しずいぶん色々な場所で仕事をする機会がありましたが、スキーには毎年何らかの形でかかわってきました。
製造メーカー、販売店などを経て、今ではスキー場の現場の問題に取り組んでいます。
景気後退の中、それぞれの現場でそれぞれの問題、苦労があると思います。
しかし、そんな中でもウインタースポーツを楽しむ方は確実にいらっしゃるのも見てきました。
ブームの頃は比較的画一的だったスキースタイルも今ではかなり色々な楽しみ方が出てきています。
スキーのカタログを開いてそのラインナップを見れば実に多彩なモデルが並んでいます。
バックカントリー、パウダーランなどの動きからは山岳遭難などの新たな問題も顕在化しています。
ともあれ「継続は力なり」なのかどうかはわかりませんが、これからも何らかの形で続けていけたらと思います。

久々の説教です。
現在、スキーのカテゴリーで最も変化が見られるのはオールラウンドモデルです。
ロッカー形状が様々な形で取り入れられています。
おそらくこれは、カービングの概念が拡がった時に近い重大かつ根本的な変化であると思います。
さらに、最新の傾向では、パウダー専用の完全逆ベンドのような極端な形状のものと従来型のものとの中間を埋めるようなラインナップが増えてきているようです。
整地、不整地、非圧雪など様々な状況を対等に考えたらそのようになってきたということでしょうか。


従来、オールラウンドモデルのスキーというのは、基礎スキーヤーが使えるという印象が強かったと思いますが、ここにきてロッカーの概念が入ってしまうと基礎スキーヤーの志向とは大きく乖離しそうです。
やはり現在の基礎スキーは技術選に代表される「種目ごとに限定された」シチュエーションを滑るものになっているということでしょう。
「基礎がしっかりした」スキーヤーは、単なる基礎スキーヤーと異なり、種目ごとに限定された斜面でもなんでも上手く滑ってしまうものです。
そうした場合、レーシングのデチューンモデルのような現在の「基礎板」ではなくて、ロッカーを取り入れた板も十分選択肢になってくるのではないでしょうか。


レーシングのスキーは例えばオリンピックで勝つために技術とマテリアルがセットで開発されるものです。(結果、各国似たような傾向に落ち着くことが多いようですが)
どうも基礎スキーは、スキー連盟の中の「先生」が世界で起きていることとはお構いなしに内容を考えているように見えてしまいます。
国産のO社は良いとしても、海外ブランドのスキーメーカーもそのうち「付き合いきれない」と言い出すのではないでしょうか?
以前の説教でも申しましたが、最終的には基礎スキーというのは全種目一種類のスキー板で競うべきだと私は思います。

またまた久々の説教です。
仕事でスキー場について考えることが多いのですが、スキー(スノーボードも)というのは色々な企業が関わっています。
グッズ・ウエアなど製品を作るメーカー、それを輸入する代理店、ユーザにそれらを提供する販売店、実際に滑走する場所を提供するスキー場、宿泊施設、販促PRを行う広告関係の代理店、リフト券を販売する窓口としてコンビニも大きく関わっています。
同じスキーに関わっているとはいえ、それぞれの業界の体質・特徴は大きく異なっています。
近年の経済状況の変化にともなって、メーカーは激しい再編の嵐にさらされ、気がつけば大手のスポーツメーカーはウインタースポーツだけで「食っていける」企業はほとんどなくなりました。
正確にいえば、それだけで食っていこうとすれば特定のターゲットに特化し、小さな規模で無理せずやっていったほうが利口であるように見えます。
結局はウインタースポーツだけでなく、他の収益性のあるものを組み合わせ、製品の生産拠点もコストの合う(人件費の安い)国・地域にどんどんシフトしています。店や宿もより良い場所に移ることができます。
今の世の中は、もともといた場所にこだわらずどこにでも移動できる柔軟さが求められ、これも「グローバル化」の一種の現れと言えましょう。


さて、困ったことに最初にあげた中で場所を動けない業種があります。
すでにお分かりのことと思いますが、それは「スキー場」です。
こればかりは、いくら中国やインドにたくさんの新規客が見込まれるとしても、大挙してその国に移っていくわけにはいきません。
「そこに山があるから」スキー場があるわけで、それゆえそこに縛られます。
これだけ経済状況が変わってきても、変化できない制約が大きいと感じずにはいられません。


もうひとつ、その場所を動けないために、その土地特有の事情が大きく影響するのもスキー場の特徴でしょう。
良く言えば「土地柄」ですが、悪く出ると「その土地の感覚しかない世間知らず」となってしまいます。
西●や東■といった大手の運営するスキー場も、現場で働く人たちはその地域にいる方が多いものです。
もともと地域で開発したスキー場はもう現在でも「土地柄」濃厚、丸出し状態なのです。
最近は「ローカル」という一見ちょっと恰好良い表現も使われますが、閉鎖的・排他的になったらそんなものはない方が世のため人のためでしょう。


「スキー業界全体が一丸となって…○○してほしい」と言う人は多いのですが、業種ごとに感覚が大きく異なりなかなか話が噛み合っていないところが多いようです。
特にスキー場という業種は難易度が高い状況だと思います。

常軌を逸した暑さも落ち着き、やっと涼しくなってまいりました。
今回は比較的軽いノリで駄洒落的なネタで説教をいたします。


景気低迷の話題が多かったこの夏ですが、ピンポイントでヒット商品となり「販売休止」「販売調整」するほどの現象も報道されていました。
その中のひとつがハイボールブームの仕掛けが大当たりした△ン▽リーの角瓶ウイスキーです。
私も酒は好きなほうですので、ウイスキーもいただきます。(好みはS社よりN社の方ですが)
これだけ話題にのぼると、そのウイスキー自体についても色々知りたくなるもので、調べてみますと結構複雑な酒であることがわかりました。
まず「ウイスキー」の定義とは麦や穀物を原料として、発酵、蒸留を行い、木の樽で熟成させたもの…ということになるそうです。
スコッチだアイリッシュだ、バーボンだなんだかんだと実は国によって色々あるようですが、話題の角瓶など日本国内で一般的に普及しているものは、スコッチタイプで「ブレンデッドウイスキー」と呼ばれるものです。
これは、大麦麦芽(モルト)を原料にしてよりシンプルな蒸留器を使い味に強い特徴のあるモルトウイスキーと、とうもろこしなどを原料にして連続的に効率よくアルコール分を抽出したグレーンウイスキーを混合して作られるそうです。
ハイボールがこれほど話題になる前に、ブレンドされる前のモルトウイスキーを楽しむことが密かにブームになっていました。


モルトウイスキーとブレンデッドウイスキーの関係は無理やりスキーに例えると、選手用の板と一般向けの板ということになるかもしれません。
コアなスキーヤーが、「平板」「選手用」を求め始めた時期とモルトウイスキーが日本国内で多く出まわりはじめた時期はおおむね一致するのではないかと思います。
モルトスキーだけでは広く需要が満たされないように、多くのスキーメーカーも「平板」「選手用」だけではやっていけません。
結局は、ウイスキーで言うところの「ブレンデッド」にあたる一般向けスキーの売れ行きが業界を左右します。


この夏ウイスキーは「ハイボール」という飲み方(いわばソフト)の部分で、大きく消費拡大することに成功しました。
商品そのものは変わらず、飲み方をPRして飲む「現場」である飲食店でも仕掛けを行った結果です。
背景には「ビール」→「発泡酒」→「ビール風味酒」という税金対策商品の泥仕合に世の中全体が辟易としていたこともあるでしょう。
われらが「スキー」の世界もソフトを持ってメーカーから現場のスキー場まで通した仕掛けが必要なのではないでしょうか。

あけましておめでとうございます。
私は縁あってスキーに関係した業界で仕事をさせていただいております。
現在はスキー場に関係しておりますが、やはり滑走の現場というのは全てのお客様と関係者が交錯する場所だと感じます。


そんな環境の中で、スキー(の滑走技術)を伝授するという行為は従来にも増して大変なことだと思うようになりました。
どんな伝授方法が良いのかと言われれば、客観的には結果が出たかどうかで断ずるしかありません。
ただし人間相手のことですので、結果が出るかどうかは教わる側の素養や環境も大きく影響するでしょう。
非常に難しい話なのですが、スキーの指導というのはどれだけ多くの情報を持つことができるのか、またその情報を伝えるための「引き出し」を多く用意できるのかという点が問われているように思います。
その点で「プロのコーチ」は非常に努力されている方が多いと感じました。
そんな方々に接するにつけ、自分はいい加減なことを言えないな…とも感じるわけです。


困ったことにいい加減なことを言ってスキーを教えている方がまだまだ世の中にいらっしゃるようで(詳しくは公開できませんが)スゴイ話を聞くことがあります。
知らなければそれなりにやればまだ罪の軽いものを、「プロ気取り」で用具のメーカーまで斡旋したとか何とか…
最近揉め事が多いスキー連盟も「プロ気取り」の組織と言われかねないのではないでしょうか。
現在のところ、スキーに関しては唯一の競技統括団体ですので連盟にはしっかりしていただきたいです。

サッカーのアジアカップでザッケローニ監督率いる日本代表チームが優勝しました。
久々に日本中に明るい話題が流れ、マスコミもはやし立てた格好になりました。
サッカーは基本的に異なる国、異なる地域・都市が対抗戦を行うことが基本です。
文化の異なる相手チームと戦うので、観衆も異常とも思える興奮状態になるわけです。


その直後、相撲で八百長疑惑が発覚し本場所の開催も断念するなど大変なことになり、これまたマスコミがはやし立てています。
ただ、私考えますに、相撲というのは日本というひとつの文化圏で内輪の人間が集まって行われていたものですから、歴史的に八百長的な現象は十分あり得ると考えるのが自然でしょう。
その発生からして、神様への奉納という「見世物」であり、それが民衆への「見世物」に変わっていったという経緯もあります。
要するに近代的スポーツの競技とはやや概念が異なっているのです。
しかし、相撲協会は困ったことに「公益法人」となっているものですから、その目的を以下のようなものとして公表しています。
「我が国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を運営しながら、相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的としています。」
「国民の心身の向上」とは、かなり過剰感を感じる内容ですが、そこまで言わないと「公益」という性格は表現できないのでありましょう。


さて、ここまで読んで勘の良い方はもうお気づきでしょう。
スキー連盟と相撲協会はやはり残念な部分で似通った点があります。
幹部の構成員もほとんど現役引退したプレーヤーであるなど、スキー界の「内輪」の人間が集まって構成されている点。
それだけなら、競技団体どこでも多かれ少なかれあり得ますが、相撲は日本特有のいわば「内輪」の世界であり、技術選に代表される技術普及活動は日本特有の「内輪」の活動です。「内輪」向けの興業的な性格も持っていいると言えましょう。
技術選と検定だけやっている組織ならば相撲協会的になっても別にかまわないと思いますが、困ったことに世界を相手に競技で戦う部分はサッカーと同様に異なった文化背景を持った人間が相手なのです。
形だけ外国人のコーチを入れてみても、組織自体が「内輪」を向いた体質であれば根本的には競技で勝っていくことはできないのではないでしょうか。
こうなったら、「興業担当」スキー検定連盟と「対世界競技担当」スキー競技連盟と別々の組織にするというのはどうでしょう?

先日、職場での会話。
「パウダースキーのレンタル借りている人でスキーに乗せられちゃってる人いますよね…」
「ああ、ロッカーっていうか逆ベンドだと、ポジションかなりブレてもいっちゃうんだよね…」


その直後、ゲレンデに出て滑っている人を観察してみました。
確かに、パウダースノーの中を明らかに後傾して滑っている人がいました。
今でもその滑走シーンは頭の中で再生できます。
かなり後傾でした。でも、確かに破綻しないのです。


私はそれを見てから複雑な思いにとらわれました。
ロッカーというのは、非圧雪やパウダーの環境で、より自由度の高い滑りを実現するために考案されたものなのです。
それを使えば「とんでもない」斜面で今まで以上のパフォーマンスを実現できます。
結果的にそれは困難な状況をサポートする役割も果たすわけで、それは技術的なハードルを下げることにもなります。
気がつくと、「スキーに乗せられている」人も生み出してしまう。
カービングスキーが登場した時も同じように「乗せられている」という話がありました。


そんな世の中で(笑)良いスキーヤーとは…
当然、どんな板でも基本通りの動作が実現できる人のことをそう言うのでしょう(当たり前か?)
言い方を変えれば、雪の状態とスキー板と対話しながら最適化された動作ができるということになるでしょう。
そこには雪・マテリアルとの対話ができるか否かが問われるのです。

皆様、ご無沙汰しております。
とんでもない規模のまさに「未曾有の」災害が発生しました。
しかも大きな余震や、原子力発電所などいまだ進行形の状況かと思います。
3月ということで、我々スキー業界にとっても非常に大きな影響がありました。
シーズン最後の稼ぎ時と思われた3/19〜21の三連休などは燃料不足などもあり「滑りに行きたくても動けない」という状況で、どこもゲレンデはガラガラでした。
宿泊はほとんどキャンセルされるなど、さらに状況が深刻だと聞いています。


ちょうどスキーも試乗会のシーズンでしたが、震災の影響で中止を余儀なくされるものもあり、来期へ向けたビジネスまでも影響を受けています。
スキー大会も、一旦そのほとんどがキャンセルということになり、その日のために練習してきた選手たちがその成果を試す場もまた失われたりしました。
それでも少し時間が経過してきて、出来なかった試乗会を規模は縮小するものの開催してみたり、チャリティーを名目にスキーのレースが開催されたりと、また前向きに動き出す流れが生まれつつあるようです。


しかし、世の中全体ではまだ「自粛ムード」が働き、飲食、レジャー、観光の分野は相当な打撃を受けています。
その自粛ムードを見越して早々にクローズするスキー場が数多く出てきました。
表面上はリフト等の電気使用を控えるという名目でしょうが、実のところ「元々客数が減って収益の上がりにくい春シーズンだったら、コレをきっかけにクローズしてしまえ」というのが本音ではないかと思います。
こうした判断は各スキー場で事情が異なるでしょうから、それぞれの判断が尊重されるべきだと思いますが、こうなると「滑りたい」「練習したい」という熱心なスキーヤー(スノーボーダーもですが)滑る場所を探しているという現象が見られるようになりました。


震災で被害を受けた地域が復興するためには、普通に生活できる人はその普通の生活を送って正常な経済の循環を作る必要があるという認識はだいぶ広がってきたように感じます。
ウインタースポーツの発展のために、滑りたい人たちのために滑走場所を提供し続けることも大切だと思います。

先日2011年の技術選のDVDを見る機会がありました。最終日に大震災があり途中プログラムが打ち切られたというある意味歴史に残る大会でした。


さて、肝心の中身ですが…明らかに上手い選手、そうでない選手は大体わかりますが、最終順位が決まる差を理解することは非常に困難でした。
と、いうのは全編にわたって解説がナレーションで入っていますが、その内容が難解なのです。
解説されると余計に難解になるというのも、非常に逆説的です。


基本的には現在のスキー連盟の教程内容に即していなければならないようで、それはわかるのです。
「言われたように演技する競技」なのですから。
それなのに「技術要素の表現だけでは足りない」とか「もっとアピールする要素が欲しい」とかコメントが入っているのです。
これは複数の基準あるいは視点が採点の際に存在しているということです。
「まともな」競技であれば、複数の基準が存在する場合には別々に点数を出すものです。
フィギュアスケートの技術点と芸術点などが有名な例でしょう。
しかし、この技術選という競技は完全に混在している要素をそのままごっちゃにして点数を出しています。
少なくとも、発表されるリザルトには合計で何点、という内容しか記載されていません。
実に難解です。

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