説教の記録(31-40)


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31:2002年4月2日「板の硬さ―スキーの良し悪し」

32:2002年4月10日「スキーテストの問題」

33:2002年4月16日「内脚を使うという問題」

34:2002年4月26日「基礎スキーにおけるカービング時代の演技」

35:2002年5月5日「ショートカービング時代における試乗法」

36:2002年5月14日「ボディ・ミラー早さの秘密」

37:2002年5月31日「5月末発売雑誌評」

38:2002年6月7日「カービングスキー―たわめば良いのか?」

39:2002年6月14日「サッカーワールドカップ日本代表予選通過」

40:2002年6月22日「サッカーワールドカップに見るスポーツと政治」

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以前よりブリザードスキーに対しては「硬い」と評価する表現がありました。
当サイトの「教義」のページで私が述べているとおり、正しくは「しなりがしっかりしている」と言うべきだと考えます。
最近はメディアも気を使って「脚力が必要」という表現が多くなりはしましたが、それも本質とは少々ずれています。


そもそも「硬い」「柔らかい」という尺度はスキーの良し悪しを直接表現していません。
ショップでベテランのオジさん達が、手で板をたわませて「硬い」「柔らかい」と言って盛り上がっている光景を目にしますが、それだけでは評価基準にはなり得ないのです。


過去、しなり(フレックス)が「柔らかい」スキーは、ねじれ(トーション)も強くなく、結果として完全なスキー操作を行わなくてもなんとなくズルリズルリとターンが成り立っていたのです。
景気の良かった頃は、それを扱いやすいスキーとして販売店は一生懸命売りましたし、多くのスキーヤーもまた喜んで買っていました。


「硬い」と評されたスキーは高速滑走の時も板の挙動が安定しています。そして乗り手が基本どおりの動きで使えば何の苦も無く操作できるのです。
そのかわり、乗り手がポジションを外すと板のたわみがほとんど無くなってまっすぐ行ってしまいました。
そして高速でちゃんとしたポジションに乗ってターンを行うと、ズレが少ないがために乗り手にとっては強い遠心力に耐えなければならない状況になるのです。
この状況に対して「脚力が必要」という表現を使っていればあながち間違いとも言いきれません。
しかし「脚力が必要」などと言われると何か余計に力を使わないと曲がっていかないような誤解を受けます。
自分の脚でスキー板を「よっこらしょ」と向きを変えるようにイメージしてしまう人もいるでしょうし、遠心力以上に板を踏みつけるようにイメージしてしまう人もいるでしょう。
そうではなくて、スキー操作として「基本としてやるべきこと」をちゃんとやった時に、ズルズルと滑っている場合より「脚力が必要」になるだけなのです。


ただ、現在のようにカービングスキーのサイドカーブがルールで規定されるようになると、深いターン弧に対して「サイドカーブ」+「板がしなって出来たカーブ」で対応しようとするため「柔らかめ」のスキーが現れています。
ただし「柔らかめ」といっても「ねじれにくく」なっていますから、かなり基本どおりの動きは要求されるはずです。


「硬い」「柔らかい」という抽象的な表現はあまり意味がありませんので次のような表現を提唱いたします。


「硬い」ではなく、「基本どおりの操作が要求される」、「高速時の挙動が安定している」


「柔らかい」ではなく、「基本が完全に出来なくてもなんとか回っていく」、「高速時に不安定になることがある」


このように、メリット・デメリットを表現するべきでありましょう。

スキー雑誌に来期ニューモデルの情報が出始める季節になりました。
しかし近年は一般スキーヤーの参加できる試乗会も多くなり、またインターネットの普及で、噂話のレベルながらニューモデル情報も多く出まわるようになりました。
ただ、乗りたいスキーを全て適切な雪面状況で試乗できる人はまれで、雑誌に対してはこの部分を補完する情報が期待されていると思います。
理想的には、
1、テスターには技術を充分持った人から発展途上の人まで幅を持たせる。
2、雪質の影響を見極めるためパウダーからアイスバーン、ザラメまでさまざまな状況下でテストする。
3、材質、構造、プレートやビンディングの組み合わせについてその技術情報を示す。
4、スキーメーカーの介入を排除する。
以上4点を満たしたテスト記事を見てみたいものです。
特に4番目を実現したテスト記事を出せるかどうかは雑誌にとっては大問題といえましょう。
これは多くのスキーヤーが気づいている事ですが、雑誌がメーカーの広告を収入源としている以上、厳しい意見は掲載できないのです。
メーカーの広告を排した今までにない雑誌の登場を待つしかないのではないかとも思います。
自動車雑誌での「マガジンX」のような存在がスキー誌にも現れたら良いと考えています。

ここ2,3年、カービングスキーの特性を活かした滑り方として「内脚を有効に使う」というコメントをよく聞くようになりました。
「両脚加重」あるいは「両脚均等加重」と表現するケースも見うけられます。
賢明な信者の皆様は御承知の事と思いますが、あくまでもターンにおいては「外脚加重」が基本中の基本であることに変わりはありません。
カービングになって加重の外:内の比率が10:0〜8:2位だったものが8:2〜6:4と、内側比が高まったに過ぎないのです。(上記数字は私的感覚的なものであって細かくは異論もあるかもしれません)
さらにターン孤の深さによってその比率は変える必要があるのです。


ここで厄介な問題が起っています。
雑誌の記事が従来のスキーとの違いを強調するあまり、安易に「内脚を使う」「両脚加重」といった言葉を使ってしまうのです。
スキーの基本に確信の持てない読者がいきなりそんな記述を読んだら、どうなってしまうでしょう?
基本は「両脚加重」などと間違った理解をしてしまうでしょう。


ややもするとスクールの現場でも安易に「内脚を有効に使う」とか、「両脚加重」という用語を使う場面があるようです。
スクールなどでは、基本動作の出来ていないスキーヤーに対しては「内脚…」うんぬんというコメント自体聞こえないようにするくらいの配慮が必要であると思います。
本当の基本とは何なのか?その上に見出される現象は何なのか?
「スキー」を行うからには時代が変わっても変わらない基本があり、マテリアルの進歩によって変わる技術もあります。
その辺りが明確に認識されるべき時代であるのです。

SAJ御用誌であるSJ誌が25日発売となり、ついつい買ってしまいました。
当然、基礎スキーの技術選の記事がトップであり、かなりドラマチックに表現されていました。
わずかなポイント差での優勝争いでありましたから、確かにファンの方々にとっては見ごたえのある大会であった事でしょう。
技術選というのは採点競技としての競技性が存在していますが、そのためジャッジにアピールするための「演技」が発生してしまいます。


特に整地でのカービングショートターンの写真に「演技」の部分が色濃く現れています。
異常に上体がかぶさり、「そこまでやるか…」と思わせるほどスタンスを広げる滑りです。
まっ平らに整地されたバーンでほぼ一定のターンを続けるというかなり特殊なシチュエーションでそれは行われています。
いわば、一般のスキーヤーが経験する事の無いほど特殊で均質化されたシチュエーションでの滑りというわけで、とても刻々と変化する状況に対応できるものではありません。
これを表面だけ真似ようとするスキーヤーが多いことは嘆かわしいことです。
応用範囲の狭い滑り方を一生懸命行って状況対応能力を自ら狭めているのです。


かつては、必要以上にスタンスを狭くしたり、外向傾を強くしたりした時代がありましたが、現代カービング時代となっても技術の本質から多少ずれた「演技」は無くなってはいなかったのです。
今月のSJ誌はその事を再認識させる内容であったと思います。

このゴールデンウィークというのは言うまでもなく、天然ゲレンデでの試乗会の最後のピークです。
多くのオタクスキーヤーの皆さんは既にいくつかのモデルを試乗されたことでしょう。
さまざまな所で、「どのスキーが良い(悪い)」、「どのスキーがタイムが出る(出ない)」といった会話が交わされています。
最近は特にスラローム用の板が激変して、乗り方まで変質してきています。
もはや今までの乗り方の感覚のままでは評価する事自体、困難になってきたと言えましょう。
3年程前、170cm前後の板が出現した時の変化も大変なものでしたが、160cmを切る長さにまでなると、また別次元の世界に入ってきます。
板の変化に技術を対応させながら各モデルを評価するというかなり難しい判断が求められています。
始めに「どの板が乗りやすいか」などと考えることはできません。
まず最初に「短くなったらこう滑る」という目標イメージを作り、あとはそれを高い完成度で実現できる板を探すという作業になるでしょう。
スキーの真理を悟ったものには自ずと「こうあるべし」という目標が見えてくるのです。
目標が曖昧なまま板の選定を行なおうとすれば、板に乗せられ板なりの滑りしか出来なくなる危険性が高くなるでしょう。

あくまでスキーを行なうのは人間であり、板ではないのです。

01-02シーズン、最も驚きと笑いを巻き起こしたレーサーと言えば、ボディ・ミラーであることは皆さま意見の一致するところでありましょう。
いわゆる「普通」の選手から見れば明らかに「奇行」とも言うべき言動の数々。
(今月発売のスキーコンプに「奇行」がいくつか載っている)
ほとんど「漕ぎ」の無い「無気力的スタート」、「タコ踊り」と表現され、バランスがとれているのかそうでないのか良くわからない滑り。
しかし、ゴールするととんでもなく早いタイムが出る。
特にスラロームで、ミラーは周囲を驚愕させていました。
これを見てスラロームで「無気力」にスタートしたり、「タコ踊り」をしてみても早く滑る事ができる訳ではありません。
見るべきは、足元から頭 まで軸がきっちり出来ている点、それとスキー板の方向です。


他の選手が、いかにしてターンの半径とエッジングを最小にするか頑張っている時、ボディ・ミラーは常にスキートップをフォールラインに落す事を第一に行なっていたのです。
それは物理的許容範囲最大限と言っても良い程だったはずです。
たとえ、「タコ踊り」のようになったとしても体軸が崩れなければショートカービングの板はちゃんとターンするのです。


ちょっとした、技術アプローチの違いのように感じられるかもしれませんがこのシーズンに限っては大きな隔たりを結果的に生じさせていたのです。
アルペンスキーとは斜面の上から下へおりる時間の短さを競うものでありますから、旗門と旗門の間はできるだけまっすぐに行った方が早いはずです。
他の選手のようにターンする事から発想していくと余計な動作をしてしまう危険性が出てきます。
そんな中、最もシンプルな発想でまずは最短距離を狙うという基本中の基本を押さえたボディ・ミラーが活躍できたのです。
カービング化が強くなっても曲がらなければならないという事ではありません。
「必要なだけ曲がる」という意味が問われているのです。

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5月23〜25日にかけて、「ブルーガイドスキー」誌とヤマケイの「スキーヤー」誌のニューモデル特集号、スキージャーナル(ICIカタログカタログ添付号)が発売となりました。
真実のスキーを求めつつも、業界の研究も行わねばならない私としてはついつい全部買ってしまったのでした。
これらの紙面を見ると、現在のスキーグッズ各社の広告宣伝費への力のかけ具合が見えてくるようです。
まず異様に目につくのがロシニョール。
ダイナスター、ラングを扱っていた三井物産スポーツとロシニョールジャパンが統合されましたが、宣伝のウエイトは明らかにロシニョールにかかっています。


オリンピック男子スラロームで金メダルを獲得したダイナスターには改めて資本を投じて宣伝する事もない。
それより常にトップを狙うべきロシニョール(これは企業側の論理…)がトップを取れないのは問題だ!
…と、まあこんな流れが見えてくるわけです。
恐らく今期、商品ラインナップをリニューアルしたものの、オリンピックでの活躍は今一つ話題にのぼらなかった為、広告宣伝で補おうという意図でありましょう。
他にはアトミック、フィッシャー、ヘッド、サロモンが大きく紙面を取っているようです。
記事内容も今期の新機軸を紹介し、「こんなにも新しい仕掛けが盛り込まれています!」と、従来との違いを項目で挙げていくものがほとんどです。
しかし我々が本当に知りたいのは項目ではなく、質としての性能情報なのです。
まあそのあたりはSJ誌やICIのカタログのスキーテストをみれば、ということになるでしょうが、だいぶ薄めた状態になっていることは確かです。
これからニューモデルの商売が本格化しようとするタイミングで足を引っ張るような記事はどこも掲載しません。


どうせメーカーのよいしょ記事と観光案内ばかりだろうと思っていたら、ブルーガイドスキー誌にあるコラムが載っていました。 131ページの志賀仁郎氏による「見捨てられたアルペン」というタイトルの記事です。
偶然の 一致か、SJ誌236ページの金井英一郎氏のコラムも大筋では同じ問題意識で書かれているようです。
スキー界( もしくはスポーツ界)の体質を問い直すような厳しい内容で、他の部分が一気に「ぬるい」と思える程です。
立ち読みするにしてもこの部分は必読と言えましょう。

カービング、カービングと言われるようになって、スキーメーカー、ビンディングメーカーは「きれいに板がたわむ」とか「たわみを妨げない」といった宣伝文句を多用しています。
ズレの無い状態でより深い回転孤、小さな半径でのターンを行なうと言われると「ああ、そうなのかな」と思ってしまう方も多いでしょう。
しかし「たわむ」だけて良いのでしょうか?
「たわむ」だけのスキーの代表格であるサロモンのパイロット(本格発売初年度のモデル)を試したとき大いに疑問を感じたのです。
確かにたいして加重していなくても深々とたわんで、おかしな言い方ですが「ボーっ」としていても自動的に回っていくように感じました。
逆に「ボーっ」とではなく、自ら仕掛けていくと反応があまりに希薄で、自分で操っている感じがしません。


私はたわんだスキー板が戻る時にこそスキー板の性能の真実が見えるものと信じています。
たわみが戻る時の早さ、強さ、粘り感はその板の特徴、乗り手との相性に直接影響します。
乗り手の働きかけに対してどんな答えを返してくれるのかで、「ロングターン向き」であったり、「ショートターン向き」であったり、あるいは「板の走りがある(ない)」といった性質の違いが生まれてくるのです。
あくまで最初に乗り手の基本に乗っ取った働きかけがあり、その時の板のたわみ具合とたわみの戻り具合が乗り手に返され、対話が生まれるのです。
完全にきれいな弧を描くようなたわみ方よりも、ビンディング・プレート部分のたわみを多少制限するくらいの方がスキーの反応はしっかりしてくると考えます。
スキーではマテリアルとの対話無くして、真実に近ずくことはできません。
対話するに足るような、しっかりとした返答の返せる板を選びましょう。

この説教を執筆しているのは2002年6月14日の夜です。
サッカーワールドカップにおいて開催国は全て決勝トーナメントに進出してきましたが、今日、今回も日韓ともに決勝トーナメント進出を決めました。
スポーツ史上特別な地位を占める日と言えるでしょう。


それまでなし得なかった事が達成されたときのカタルシスが東アジアに吹き荒れているのです。
サッカーにおいては地元「サポーター」の声援が明らかにプレーする選手のパワー源となっていました。
同じ「ワールドカップ」という名のイベントでもスキーの試合では地元ファンの声援がプレッシャーとなって選手の動きを抑えてしまう事が多かったようです。
オリンピックでのことですが、ボディ・ミラーがスラローム2本目でメロメロになったのも記憶に新しい出来事でありましょう。
地元の声援の中、それをパワーに変えて勝利するスキーヤーは全盛期のトンバ、今は亡きルドルフ・ニールリッヒ(ザールバッハ世界選手権)、古くはジャン・クロード・キリーなど極めて稀な存在でしょう。
そんな中、長野オリンピック前年の焼額山のスラロームで木村公信が3位寸前の4位というのはアルペンスキーとしてはかなり上出来な結果ではなかったのかとおもいます。


サッカーというのは複数人数の関係性が深く絡みますが、スキーというのは1人ずつ競技を行い、限定された状況下で能力をいかに発揮するかが焦点となります。
競技時間もサッカーは前後半合わせて90分と途中修正する余地があるのに対して、スキーはひとつのミスを挽回することはほとんど不可能に近いといわれています。
アルペンスキーとはそれほどに精密な競技なのです。

先日、サッカーのWCで日本はトルコに敗れましたが、韓国はイタリアを破ってベストエイト進出を決めました。
驚いたのはイタリアの反応です。
異例とも思える審判・判定への不信感を露に表明したのです。
イタリア側は明言していませんが、韓国側が審判を買収していた可能性もまことしやかに囁かれています。(あくまで噂の範囲ですがイタリア戦以前も全て買収済みだったという話まであります)
サッカーの世界においてはそのくらいの政治的な働きかけは常識とも言われていますが、今回はあまりにミエミエであったため常識とは知っていても「許せる限界」を超えてしまったようです。


政治の世界でお金はつき物と言われていても、さすがに鈴木宗男ほどやってしまうと逮捕劇になってしまうということでしょうか。(しかし実にタイムリーな逮捕劇でした)
韓国―イタリア戦の判定は「疑惑のデパート」というのがイタリア側の主張でしょう。


スキーにおいても政治的な働きかけというのは過去からいくつか存在していました。
有名なのは、ステンマルク総合優勝を阻むルール改定(高速系種目SGを新設してオールラウンダーに有利にした)、ノルディック複合競技での日本つぶし(ジャンプポイントより距離ポイントの比率を増やす)、純ジャンプで小柄な日本人を不利にする身長によるスキー長制限など。


IWCにおける反捕鯨国による捕鯨国の圧迫を想起させます。
幸いなことに、アルペンスキーの競技中においてサッカーのような瞬間的なジャッジはほとんどないので、そういう点で問題となることは少ないように思います。
ただし、最近はカービング対策で毎年のようにFIS規定が変わりその対応を真面目にやろうとするとかなりの出費を毎年強いられるのは困ったものです。

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