説教の記録(41-50)


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41:2002年7月12日「サッカーワールドカップが終わって」

42:2002年7月21日「FIS規定改定」

43:2002年7月31日「不正表示とユーザーへの情報開示」

44:2002年8月23日「必死なスキー業界、必死なスキーヤー」

45:2002年9月8日「スキー業界、グッズ畑とウエア畑」

46:2002年9月30日「ザウス最後の日」

47:2002年10月7日「ジャーナリズムは鵜呑みに出来ない」

48:2002年10月30日「02-03シーズンWC開幕」

49:2002年11月22日「理屈は役に立つのか」

50:2002年11月29日「スキーの歴史を変えた理屈」

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サッカーワールドカップが終わって、丸10日が経過しました。
期間中の熱狂は今ではすっかり沈静化してきているようです。


日本の景気回復の起爆剤になるかと期待する論調もありましたが、
どうも期待通りにはいっていないようです。
政府は景気は回復しつつあると日々強調していますが疑問の声は多々出ています。
正直、スキー業界には全く関係なかったことでしょう。
それどころかテレビ中継のある日・時間帯になるとみんなテレビのある場所(主に自宅)にこもってしまい、スポーツ店といえども閑古鳥が鳴いていたようです。


ただし、ワールドカップを見てサッカーをやってみようという子供が出てきて、シューズとボールを買いに来たという事例はあったようです。
基本的に、スポーツ業界の場合はその種目をやってみようという人口が増えてこないと成長は難しいのです。


アルペンスキーはそのトータル人口が多いわりに世界的トップ選手が少なかったのは競技としてスキーを行う人口が少なかったからと言えるでしょう。
サッカーなどはそれを行う事はイコール競技になりますが、アルペンスキーに関しては必ずしも競技でなくとも行う事ができてしまうのです。
スキーと名のつくものでもジャンプに関しては行う事がイコール競技になる種目と言えましょう。
札幌オリンピック以降、長野での日本チームの活躍というのは以外とそんなところに原因があるように思います。

6月にFIS(国際スキー連盟)が03-04シーズン向けのマテリアル規制改定を決めました。
スラロームではサイドカーブに規制はないものの、最小サイズが男子165cm、女子160cmとされ、極度に進んだショート化に歯止めがかけられます。
リーゼンの方はサイドカーブR21で最小サイズが男子185cm、女子180cmとなるようです。


長さ・サイドカーブが規制されると今後は「たわみ」とその「戻り」、「ねじれ強さ」のバランスが極めて重要になるでしょう。
一見しただけではみえない部分が問われます。


この辺は自動車のF1の規定でターボチャージャーが禁止された後に、サスペンションの働きが重要視された流れと類似していると思います。
数字上の比較がしやすいターボエンジンの馬力競争から、最終的には走らせなければ判らないシャーシ・サスペンション・空力のバランスを競うようになったのです。


今期はフィッシャーが今のところ予約状況で好調という噂を聞きましたが、相変わらず表面に新しい演出が効いているものがウケているようです。
外見にとらわれず、スキーの挙動の質を見極めることが今まで以上に、選ぶスキーヤーに求められるようになるでしょう。

最近、食料品に関して不正表示だの残留農薬だのといった事が報道されています。
「見た目の良いものをいかに安く出すか」という部分ばかり追求した結果の不祥事と言えましょう。
これらの問題が発生する背景には生産者(メーカー)が「どうせ末端の消費者(ユーザー)にはわからないだろう」と客を蔑ろにしている姿勢があるのです。


しかし、消費者(ユーザー)は単に被害者であり、何も非は無いのでしょうか?
日本の消費者(ユーザー)はこういった事に対してあまりに無防備のように思います。
食品について、「どこかでちゃんとチェックされているだろう」という意識、
「見た目が良くて、安いならそれでいいじゃないか」という意識。
そこには自ら情報を吟味することなく流され続け、表示を鵜呑みにしたあげくにだまされているという図式が見えてきます。


さて、賢明な信者の方は上の文の括弧内をみて既にお気付きのことと思います。
スキー業界にも同様な現象が起きていないと言いきれるでしょうか。
実際、キャップ構造のスキー板も、メーカーにとって最大のメリットは「サンドイッチ構造に比べて均質な製品が安価に作る事ができる」という点なのです。
逆にいえば、キャップ構造のスキーは型のコストを償却するために一定以上の数量を販売しなければならないはずで、そのために大メーカーはキャップ構造自体が素晴らしい新機軸であるようなプロモーションを打つのです。
そんなプロモーションは断じて鵜呑みにできるものではありません。
あくまで自ら選択していく姿勢が大切です。


もうひとつ付け加えるならば、スキーのジャーナリズムも批判にさらされるべきです。
スキーテストは広く行われ、「年中行事」と化しているくらいですが、スキー板を破壊し、その内部構造まで踏みこんだ調査記事は全く見ることがありません。
使用材料、構造はスキーの乗り味に大きな影響を与えるはずであり、それを明らかにしていくことも真のジャーナリズムの仕事ではないかと思うのです。

先々週発売になったジャーナルの別冊「スキーセレクション」をみていてふと、思いました。


―自分のスタイルで生きる人々が、ヨーロッパやアメリカの空気を表現したウエアに身を包んでたたずんでいる。
スキースタイルとライフスタイルを絡めてニセコという土地を舞台に夢を語っているようだ。


もはやスキーウエアを演出して語るためにはこのような浮世離れした演出にならざるを得ないのでしょうか。
十数年前にスキーにはまった人間の多くが現在不景気の中、サラリーマンとして苦しんでいる。
そんな人間達に現実逃避の夢を見させようかともとれる表現といえましょう。
百歩譲ってニセコではそんな夢のような暮らしがあるとしても大多数のスキーエリアは瀕死の状態であり、スキー産業に関わる企業も存亡の危機にさらされているところばかりなのです。


バブル崩壊後はスキーヤーもだいぶ濃縮されて、限られた時間で必死にがんばる人の比率が増えています。
必死に早くなろうとするレーサー。
必死に検定合格を目指す基礎スキーヤー。
そして彼らを相手に必死にがんばる(?)スキースクール。
さらにつぶれそうな会社を必死で支えようとするスキー場職員。
瀕死のスキー場に必死なスキーヤーが集う。
これが現実であり、ニセコの夢は文字通り「夢のまた夢」なのです。
夢というなら、別の雑誌の「国体への道」とか「クラウンへの道」の方が、現実のスキーヤーの抱く夢によっぽど近いと言えるのではないでしょうか。


ちなみに、ニセコの記事のあとは見事なくらいに単なるカタログページになっていて、その力の抜け具合が逆に気持ち良いと言えましょう。

スキー業界はギア・グッズ畑とウエア畑に分かれます。


ギア・グッズ畑に強いのは、店に例えればI○I石井やカン○ハー等が挙げられるでしょう。
こういう店ではウエアでさえもギアとしての側面が強調されます。
ずばりプロテクターが良く売れるという結果が出るのです。
希少なウエアがうけるのも、周囲の人間に「あのウエアは何だ?あいつはタダ者ではないな!」と思わせる一種の機能性があるのです。


ウエア畑に強いのは例えるならばミ○ミスポーツが挙げられるでしょう。
こういう店ではギア・グッズの機能性でさえも流行り物のファッションとして表現されるのです。
「こんな新しいスキー板が今年出たんだよ!」と、例えばサロモンのパイロットシステムの板をしならせた状態でディスプレイしたりするのです。
そのしなり方だとどんな操作感になるかはさておいて、ともかく「これは従来にない新しいものだ」と言っているのです。


私はどちらのタイプが良いとか、悪いとかというようなことは申し上げるつもりはありません。
どうも人種が違ってしまうせいか、双方の要素が高度に両立した店というのはなかなか無いものです。
ウエア畑の人間はグッズ畑の人間を評して「偏屈なオヤジ共」と言うことが多そうですし、逆のケースでは「カッコばかり気にする役立たず」と思われているようです。
これも業界の底の浅さというべきなのでしょうか。

とうとう2002年9月30日という日がやってきました。
世界最大の屋内スキー場ザウス(SSAWS)営業最終日です。


日曜日の一般家庭向けテレビ番組でもその閉鎖が報じられていました。
しかし、その論調は
「バブル景気絶頂期に計画され、ブームの沈静化と景気の冷え込みに伴って採算性が悪化し閉鎖にいたった」 というものです。
実際にはコアなスキーヤーにとって従来とは全く意味合いの異なる存在であったのですが、そんな視点は全く欠け落ちていました。


いつ行っても雪質変化・斜面状況変化のほとんどない環境がその特徴であったわけでしたが、さすがに一般メディアでそこまで踏みこんで指摘できたところはないようです。


スキーオタクの視点から申し上げるならば、その均一なバーン状況からすればスキー性能のテストにはまさに理想的といえます。
いつテストしてもまず同一の雪質で滑る事ができるというのは、天然ゲレンデでは考えられないのです。
実際、ナショナルチームの選手も調整に利用していましたし、一般オタクスキーヤーも精度の高いスキーテストが行えると評価されていたはずです。
その一点においてザウスの閉鎖は大きな損失と言えましょう。

昔聞いた話ですが、「日本人はマスコミの言う事を無批判に飲み込んでしまうものが多い」
先進国だろうが、途上国だろうが、日本人よりはマスコミの言うことに対して批判的にとらえるということのようです。
ジャーナリズムの言う事を真に受けて流されてしまう人が多いのが日本人かもしれません。


真実を追究するのがジャーナリズムだと理想を語ったとしても、企業として成り立たなければ元も子もないという現実も一方では存在しているのです。
もっと言えば、「収入につながらない情報」は表に出てくる事が難しくなるのです。
逆に以前はほとんど話題に登らなかった出来事が何かのきっかけで注目を集めそうだとなると、連日取り上げたりするわけです。
スキーの世界も然り。
あなたが放送、出版を通して得る情報はほとんど全て「金になるか否か」というフィルターをくぐらされたものです。


では真実に触れるにはどうしたら良いのでしょうか?
商売ベースの情報だけでなく、まずは当教会を訪れるべきでありましょう(なーんてね)
冗談はさておき、大切なのは自身の感覚に正直に向き合う事です。
最終的には自分で判断し、行なうのがスポーツです。


全てがかみ合った時、異次元の領域を見ることになるでしょう。
雪面、スキー、自身の体が滑走状態でどんな時にどんな反応・挙動をするのか?
あなたの感じるその実感が真実の情報となるのです。
実感をもとにジャーナリズムの情報を見ればその質の良否もおのずと見えてくるでしょう。

今シーズンもアルペンスキーワールドカップが開幕しました。
女子のレースでは三人が一位をしめるという珍事(タイム差が百分の一秒以上つかなかった)がおこりました。
今回は、その珍事ではなく27日に行われた男子リーゼンスラロームの上位の顔ぶれを見てみましょう。


1位:ステファン・エベルハルター
2位:フレデリック・コビリ
3位:ミカエル・フォン・グリュニゲン
4位:チェティル・アンドレ・オーモット
5位:ボード・ミラー
6位:フレデリック・ニイベルグ


ざっと6位までの名前を眺めてみると、カービング化の波が押し寄せる前から活躍している選手が多いことに気が付きます。
コビリとミラー以外は皆、スキーがカービング化する以前から優勝暦がありました。
エベルハルター、オーモットは91年(あの湾岸戦争の年!)ザールバッハ世界選手権のSGで一位、二位を占めた二人です。
ニイベルグにいたっては初優勝は90年にまでさかのぼるのです。


リーゼンスラロームはアルペン4種目中最もスキーの基本が問われるとはよく言われることです。
スラロームでは大きなマテリアル・技術変化に乗じてジャンプアップをはかる選手が多数出て、
結果、大きく世代交代の起きることがありますが、リーゼンでは少ないように思います。


ハイスピードの中でいかに良いポジションをキープするか、
刻々変化する斜面、速度に対していかに最適な対応をするかという能力、
これらが最高に厳しく試される種目がリーゼンスラロームなのです。
「カービングスキーになって内脚を使うようになった」などと言われるようになっても、
やはり基本は変わらないという事実の証明といえましょう。

インターネットに接するようになっていろいろな人のスキー技術論を知る機会が多くなりました。
かく言う私もこのような形で皆様に自身の意見を発信しています。
また、某有名BBS(複数)では「スキーのターンで加速は可能か?」という話題で論議が盛り上がっているようです。


大体、スキーというスポーツで起きる現象は環境が複雑に変化しすぎて科学的に説明しようとすると実に大変な事になると聞いたことがあります。
なぜ雪面を板が滑っていくのかという事すらはっきりした定説が定められないというのです。
それゆえ、動作の会得だけが意味あることで、理屈を考えるのは無意味という考えも出てきます。
理屈を考えるのは本当に無意味なのでしょうか?
ある場面でそれはYESであり、また別の場面ではNOといえます。


例えば、上手くパラレルスタンスでターンできないスキーヤーができるようになろうとしている場面を考えてみましょう。
この場合、最低必要な身体の動作が要求されますので物理的な理屈はあまり役に立ちません。
「とにかくちゃんと動いてみろ!」という話になるわけです。


逆に理屈を考えて役に立つのは、基本的な動作が一通り出来るようになった後にブレイクスルーを求める場面なのではないでしょうか。
特にマテリアルのドラスティックな変化の背後には経験を超えた「理屈」が存在していたと言えるでしょう。
一連のカービングスキー開発も理屈から発生・発展し実際の滑走スタイルを変革してしまったのです。
詳細はまた次回に述べたいと思います。

滑りの見た目が明らかに変わってしまうマテリアルの変化がスキーの歴史に何回か起こっています。
その背後には「理屈」が存在しているのです。


ブーツは水で濡れてしまう革よりプラスチックの方が雪の中で性質が安定しているという「理屈」からプラスチックのブーツが登場しました。
ブーツの形状も角付けするのに支点が高い方が効率が良いとの「理屈」から現在のようなカフの高いものになりました。
高さのあるブーツが登場したのは私がまだ小学生の頃でしたが、「ハイブーツはすねの骨を折る危険が高いから禁止しよう」という先生がいたことを覚えています。
もっとも、その後スキーブーツはみんな「ハイブーツ」になったため、禁止は意味の無いものになりました。


カービングスキーの始祖はクナイスルのエルゴというモデルであったと記憶しています。
それまでスキーをたわませて作っていた回転孤を最初からサイドカーブに組み込んでおけば、充分たわませなくてもスキーが回転していくという発想で作られていたものです。
始めはサイドカーブに回転孤が制限される為、レースには不向きと言われましたが、リーゼンでセットの難易度を上げようと振り幅が大きくなった時、カービングスキーをレースで使う必然性が生まれたのです。
トーションの強いカービングスキーでしっかり加重してやれば、半径が小さくズレの無いラインが描ける。
つまり、ポール際で最速のラインをとれるという「理屈」です。


つまりこの流れは


●スキー板の開発がいくところまでいってしまった。
  (振動吸収など細かい改良が多くなっていた)
●トップ選手の力の差が出にくくなった。

●選手の力の差をはっきり見せるため、ポールセットの振り幅を大きくして難易度を高くした。

●振り幅の大きいセットでタイムを出すためカービングスキーを使うようになった。


と、以上のようなことだったのでしょう。
まさに均衡状態を打破するために理屈から生まれたマテリアルを使った事例と言えましょう。

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