2004年10月23、24日
谷川岳〜一の倉岳〜茂倉岳を縦走
(山中で新潟中越地震に遭遇)
二日目:茂倉岳避難小屋〜土樽
大地震があったらしいとは思いつつ、何にも情報が入らない状態で夜が明けた。
夜中にも結構大きな揺れがあったがみんな寝ていた。
小屋の中は最低気温5℃程度まで下がったようだ。
後からやってきた6人パーティーはというと、さっさと朝食をすませて先に出発していった。
まあ、下山道を大人数でぞろぞろ下るというのもなかなかダルそうなので、こちらはゆっくりな出発にした。
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何はともあれ天気は昨日とはうって変わってからりと晴れた。
昨日は全く見えなかった谷川連峰の山々が全て見える!
谷川岳、一の倉岳、蓬峠、万太郎山、仙ノ倉山、平標、苗場山など実に周囲が良く見える場所であったのだ。
小屋付近からの眺め(パノラマ画像)
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晴れてはいるが、やはり冷え込みは厳しい。
ご覧の通り、道はほとんど凍っている。
草も白い霜がびっしり付着していた。
ぬかるみが凍結しているのはなかなか歩きやすくなって良い感じ。
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小屋を出発したのは9時近くなってから。
だいぶ小屋でゆっくりしてしまった。
ただ、ここからは下山のみ約3時間の予定なので全然余裕なのである。
画像は茂倉新道の下山道。
先に見えるのは土樽のパーキングエリアとJR土樽駅周辺だが、この高さだと異常は認められなかった。
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一時間ほど尾根を下っていくと小ピークに出る。
矢場の頭と呼ばれる場所である。画像の通り一応標識が立っている。
既に400Mほど下ってきた計算。
このあたりまでは楽しい尾根歩きなのだが、すぐに樹林帯に入っていき、木の根っこ攻撃が始まる。
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ガイドマップに「木の根が多く歩きにくい」と書いてあるほどなので多少の覚悟はしていたが、想像以上のひどさである。
ヤセ尾根に木がしがみつくように生えていて、その浮いた木の根しか足場が無いという箇所が連続した。
根っこの隙間は何にもなく、がけ下に抜けている!などということもしょっちゅうなのだ。
まだ岩場の方が良いような気がする。
さらに下に下って根っこが少なくなると、今度は赤土粘土の斜路が出てくる。
これがまた最高に滑りやすい。
スパイク長靴でしか対抗不可能でありましょう。
標高も600Mくらいになると関越道を通過する車の音が聞こえてきて、やはり地震の影響はたいしたことなかったのかな?と思わせた。
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滑りやすい路面に悪戦苦闘したが、12時頃に登山口に到達。
下りの方が滑らないよう慎重になって時間がかかったようだ。
あとは舗装路を土樽駅まで歩く。
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途中で見かけた見事なナナフシ。
体長10cm以上。
道路わきの川があふれて舗装面に流れているところを一生懸命歩いていた。
この場所では、関越道がはっきり見えたが、普通に車が走っているように見えた。
後で思えば、東京方面に向かう車しか走っていませんでしたね。
(湯沢→東京方面は通行可、反対の新潟方面は月夜野から先が通行止めだった)
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12時35分、やっとこ土樽駅に到着。
1,500M近くを一気に下ったため短時間ではありましたが結構足にきました。
ともかく道が途中崩落などしていなくてよかった〜。
とめてあった車に乗ってさっさと帰ることにしたのですが、ラジオをつけると何やら昨夜の地震が尋常で無いというニュース。
小千谷を中心に大変な被害が出ているとのこと。
震度は6強で、山古志村にいたってはまるごと陸の孤島になっているらしい。
湯沢のあたりは夜に停電になったものの、被害らしい被害はなかったとのこと。
私の実家も揺れてびっくりしたけれどとりあえず無事でありました。
やはり、日曜だというのに人通りや車の往来は少なかったようです。
しかし、今回は先に電車で土樽→土合と移動しておいてラッキーでした。
これが逆に下山後に電車を使うつもりでいたら、地震の影響でJR上越線が止まっていましたので、タクシーなど使わなければ戻れなくなっていたところでした。
この後は普通に17号線で戻りました。
途中、救援物資を積んだトラックとすれ違ったり、新聞の報道写真を見て事態の重大さをあらためて感じたのでした。
山中での地震というなんともレアな体験でした。
山岳の荒行はまだ続く(のか?)
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