ハンス・ヒンターゼアー(オーストリア)
HINTERSEER Hans (AUT)
Photo: KiPO PRESS
※1979年引退
オーストリアの貴公子と呼ばれた技術系の名選手。
1973年の苗場ワールドカップ回転で優勝、大回転2位、'77年の富良野では大回転で優勝、日本にも多くのファンが誕生した。
彼の活躍によって日本でブリザードの認知度が上がったと言っても過言ではない。
まさに、ブリザードにとっての「フランシスコ・ザビエル」のような存在。
教祖の親父も近所で行われたワールドカップの結果に影響され、ブリザードを購入していた。
当然、シルバーとレッドのチェック柄のファイヤーバードだった。
親父のせりふ
「ブリザードは薄いけれどしっかりしている。」
しかし、子供の私には青森スキー(現ブルーモリス)から適当に選んで買い与えていた。
その後、私は中学の頃からブリザードユーザーになったのであった。
さて、スキー選手を引退して彼は…歌手になっていたのでした!
映像を見る限りは、オーストリーの「スター ハンジ ヒンターゼアー」ってな感じでしょうか?
「スキーツイスト」なる曲のPVでは華麗な滑りを披露している。
SKI TWIST 2008
SKI TWIST 2007
SKI TWIST 2005
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モニカ・カゼーラー(オーストリア)
KASERER, Monika (AUT)
Photo: KiPO PRESS
※1978年引退
'70年代に活躍した技術系選手。
ワールドカップで計10勝を挙げた。(内訳はスラロームで1勝、大回転で8勝、パラレルSLで1勝)
総合ランキングは'73、'74年連続で2位につけた。
大回転で安定した結果を出していて'73年には種目別タイトルを獲得している。
苗場や富良野のレースで来日して、記録をみると苗場で2位(75年)、富良野では優勝(77年)となっている。
種目はいずれも大回転である。

Photo: Blizzard Sport GmbH
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マリーテレーズ・ナディク(スイス)
NADIG Marie-Therese(SUI)
Photo: KiPO PRESS
※1982年引退
'72年札幌オリンピック女子ダウンヒルでいきなり金メダルを獲得し天才出現と騒がれたが、その時はスポルディングのスキーを使っていた。
その札幌オリンピックで本命視されていたアンネマリー・モザー・プレルと10年近くトップ争いを続けた。
スラローム以外の種目で優勝を狙える準オールラウンダーであったのだ。
ナディクがワールドカップで総合優勝を勝ち取るのはプレル引退後の80-81シーズンとなったが、その時彼女の足元にはブリザードがあった。
上の画像は総合優勝の前年のものだが、手許の資料不足のためこのときブリザードを使用していたかは定かではない。
情報通の方の情報提供求む!
Photo: Blizzard Sport GmbH
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ウルシュラ・コンツェット(リヒテンシュタイン)
KONZETT, Ursula (LIE)
Photo: KiPO PRESS
※1985年引退
小さなアルペン大国リヒテンシュタインといえば同時総合優勝を達成したハイニ、アンドレアスのウェンツェル姉弟があまりにも有名だが、同時期、同国にもブリザードを使う選手がいた。
基本的にはスラロームスペシャリストで、'77から'85まで9年間ワールドカップをたたかった。
最も成功をおさめたのは1982年でW.C.回転で2勝をあげ、種目別2位になった。総合でも6位につけた。
同年のシュラドミング世界選手権では大回転で銅メダル、1984年のサラエボ五輪でも回転で銅メダルを獲得。
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フランツ・クラマー(オーストリア)
KLAMMER Franz (AUT)
Photo: KiPO PRESS
※1984年引退
「カイザー(皇帝)」と呼ばれた、ワールドカップ史上最強のダウンヒラー。
彼以前のダウンヒルとは異次元ともいうべき速さを誇った。
全盛期は74/75シーズンから77/78シーズンまでの4シーズンだったが、その後極度の不振に落ち込んだ。
しかし彼は奇跡の復活を遂げる。誰もが終わったと思っていたクラマーが再び勝利をおさめた時、その足元にはブリザードがあった。
画像は84年のキッツビューエルでワールドカップ最後となる25勝目を上げたときの表彰台である。
これはまた、地元オーストリア勢がブリザードスキーを履いて表彰台を独占したレースであった。
1位フランツ・クラマー、2位アーウイン・レシュ(Erwin Resch)、3位アントン・シュタイナー(Anton Steiner)
良き板は感動のドラマも生み出す。
1984年キッツビューエルDHの映像
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アントン・シュタイナー(オーストリア)
STEINER, Anton (AUT)
Photo: KiPO PRESS
※1988年引退
84年のキッツビューエルダウンヒルでブリザードが表彰台独占したときの一人。
ジェームス・ディーンに似ているということでジミィ・シュタイナーと呼ばれ、資料によってはそちらの名前で載っていたりする。
ワールドカップではダウンヒルで2勝しているが、コンビネーションでも3勝しておりどちらかというと高速寄りのオールラウンダーというべき選手。
1982年のシュラドミング世界選手権ではコンビで銅メダル、1984年のサラエボ五輪でも滑降で銅メダルを獲得している。
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ペーター・ミューラー(スイス)
MUELLER Peter (SUI)
Photo: KiPO PRESS
※1992年引退
クラマー全盛期後の大混戦時代に活躍したスイスを代表するダウンヒラー。
1979、80、82年と3回ダウンヒル種目別タイトルを獲得している。
低く、幅の広いスタンスをもつ独特のクローチングフォームが特徴だった。
画像を見ればわかるようにレース中はいつも「お面」着用でどんな表情なのか本人も含めて誰も見ることはなかった。
素顔はなんとなく赤鬼系といった感じだ。
オリンピックでは84年のサラエボで銀メダル、88年のカルガリーでは今度こそ!と一時ベストタイムをマークしたが、
最後の最後でチームメイトのツルブリッゲンに金メダルをさらわれてしまった。
(カルガリー前年のクランモンタナ世界選手権ではミューラーがツルブリッゲンを抑えて優勝している。)
テレビ中継の画面で「やられた!」という表情のミューラーと、
歓喜のあまりスキー板を投げ上げたツルブリッゲンの姿が映されていたのを思い出す。
引退後一時、ブリザードのアドバイザーをしていたらしい。
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千葉信哉
CHIBA Shinya (JPN)
Photo: KiPO PRESS
※1988年引退
日本で最も成功したダウンヒラー。
日本人でもブリザードを使えばここまで高速系で戦えるということを証明したと言える。
1988年、カルガリー五輪の滑降で11位になっている。
実は技術系も得意な選手でカルガリーの後、プロスキーサーキットに参戦。
デュアルの回転、大回転で争われるレースでもブリザードはその高性能を示した。
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アトレ・スコーダル(ノルウェー)
SKAARDAL Atle (NOR)
Photo: KiPO PRESS
※1997年引退
'90年代ノルウェー高速系のエース。
'80年代からワールドカップを戦っていたが、1990年、キッツビューエルで行なわれたスプリント・ダウンヒルで初優勝を上げた。
トップに上り詰めた時その足元を支えていたのは他ならぬブリザードだった。
その後フィッシャーに乗り換え、世界選手権で金メダルを獲得した。
まあフィッシャーも良い板なので許してあげよう。
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マーク・ジラルデリ(ルクセンブルク)
GIRARDELLI Mark(LUX)
Photo: KiPO PRESS
※1997年引退
伝説のオールラウンダーと言ってよいだろう。
オーストリア生まれだが、ナショナルチームと方針が合わず、国籍をルクセンブルクに移して事実上父親とのプライベートチームとしてワールドカップを戦い抜いた。
総合優勝は実に5回を数える。
さらに89年シーズンには全5種目に優勝という離れ業をやってのけている。
初期はスラローマーとしてサロモンのリアエントリーブーツで勝って見せたりしたが、その後はラングに代え基本性能を重視したマテリアルを使うようになった。(と、思う。スキーはアトミック→ダイナスター→ブリザードという遍歴)
自分の信じた方法、マテリアルを使うことで有名であった。(ビンディング下のプレートを使い始めたのも彼が一番早かったはずだ。)
スイング&グライドというテクニックをその名前で使ったのも彼が最初であった。
日本の岡部もそれに大いに影響を受けたといわれる。
画像のスラロームも皆逆手に切り替わった時代にあえて順手で勝って見せたころのもの。
ジラルデリとブリザードのドラマは96年に唐突に始まった。
95-96シーズン途中、彼はスキーをブリザードに変えたのだ!
その直後の96年シエラ・ネバダ世界選手権のコンビで金メダルを獲得した。
その直前のレースからとても優勝は考えられなかったが、ブリザードはそれを可能にしたのだ。
残念ながら翌シーズンはほとんど滑ることなく怪我で戦列を離れ、そのまま引退となった。
ジラルデリの最後の輝きはブリザードとともにあったのだ。
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アニャ・ハース(オーストリア)
HAAS Anja (AUT)
Photo: KiPO PRESS
※1995年引退
90年代前半に活躍したダウンヒルスペシャリスト。
91年富良野のダウンヒルが初勝利。
93年が成績のピークで、ワールドカップで二勝(ベイゾナ、サンアントン)、雫石の世界選手権で銅メダル獲得。
意外と日本に縁がある選手であった。
同時代にぺトラ・クロンベルガーが大活躍していたので陰に隠れてしまったが、充分評価される成績を残している。
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ぺトラ・クロンベルガー(オーストリア)
KRONBERGER Petra (AUT)
Photo: KiPO PRESS
※1993年引退
1シーズンで5種目に優勝した(90年)唯一の女性レーサー。
女性史上、完璧なオールラウンダーといえるのは彼女だけではなかろうか。
男子のオールラウンダー、マーク・ジラルデリのように「体はぼろぼろ」というような悲壮感はまったく無かった。
技術系からスピード系まできっちり勝って見せた戦績からブリザードスキーの基本性能の高さがうかがわれる。
この頃の市販モデル「V20アブソーバー」がまた高速安定性、エッジングの安定感ともに素晴らしく良かった。
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ミリアム・フォクト(ドイツ)
VOGT Miriam(GER)
Photo: KiPO PRESS
※1998年引退
'93年の盛岡雫石世界選手権の女子コンビネーションで金メダルを獲得。
上の画像は世界選手権の表彰台。(中央がフォクト)
ドイツチームでは珍しいブリザードユーザーであった。(自国製のフォルクルユーザーが多い)
どちらかというと高速系に強い大柄な選手で成績のピークはアルベールビル五輪のあった'92年、雫石世界選手権のあった'93年であった。
後にスキーをアトミックに変えたが、最盛期の成績には戻らなかった。
Photo: KiPO PRESS
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カリン・ブーダー(オーストリア)
BUDER Karin (AUT)
Photo: BLIZZARD作成のカード
※1993年引退
スラロームスペシャリストとして長年ワールドカップで活躍。
勝星にはなかなか恵まれなかったが(ワールドカップでは1勝のみ)、選手生活最後の世界選手権(93年盛岡雫石)スラロームで金メダルを獲得。
その栄光を獲得したとき、彼女の足元にはブリザードがあった。
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クリスチャン・マイヤー(オーストリア)
MAYER Christian (AUT)
Photo: KiPO PRESS
※2006年引退
ダウンヒル以外の全ての種目をこなす結構器用なレーサー。
1993年の雫石世界選手権の大回転で銅メダル獲得。
翌94年にはワールドカップ種目別で大回転のチャンピオンになっている。
その大回転の種目別タイトルはオーストリア男子にあっては、なんとヒンターゼア以来21年ぶりであり、両者ともブリザードユーザーなのであった!
その後はアトミックに乗り換えたが、若手の台頭もあり層の厚いオーストリアチームの中に埋もれてしまった。
02-03シーズンからははフォルクルにマテリアルチェンジ。
アトミックユーザー内の序列に問題があった(ヘルマン・マイヤーやエベルハルターがいる)のだと思うが、スキーの性格としてフォルクルの方が多分あっているのだろう。
その後、フィッシャーに替え、引退まで使用していたが、やはり全盛期を支えたのはブリザードであった。
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フリッツ・シュトロブル(オーストリア)
STROBL Fritz (AUT)
Photo: KiPO PRESS
97年、フリッツ・シュトロブルはダウンヒルで3勝をあげ、種目別ランキングも3位となった。
特に地元のキッツビューエルではコースレコードを更新して優勝し大いに盛り上がっていた。
なんと現在でもこの時の記録は破られていないという。
にぎやかなゴールシーンを中継するテレビ映像に誇らしげに映っていたのがブリザードだった。
(この頃はフジテレビで毎週レースが放映されていたのですね)
その時の板は市販のリーゼンモデル「ZERO-X」と同柄だったことを記憶している。
私事だが、会社の大回転のレースで優勝した時のスキーが「ZERO-X」で感慨深いものがある。
フレックス特性を変化させられるというFTAプレートがついていてやたらと重たかったが、
スーパーGに使っても良いくらい安定感の高いスキーだった。
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1999年ベイル世界選手権
女子ダウンヒル表彰台
向かって左から
ミカエラ・ドルフマイスター(2位)、
レナーテ・ゲッチェル(優勝)、
ステファニー・シュスター(3位)
Photo: KiPO PRESS
1999年2月7日、ブリザードスキーはその実力を世界に示した。
世界選手権女子滑降の表彰台を独占したオーストリーチーム3選手の足元にはブリザードがあった。
このあとゲッチェルはサロモンにマテリアルチェンジを行ったがかつての勢いを失ってしまったように見える。
ブリザードを使いつづけたドルフマイスターはブリザード使用選手のトップになり、サンアントン世界選手権ダウンヒルでトップになった。
この年私も久々にブリザードのリーゼンの板を入手した。
何とはなしに「選手用」といわれ購入したが、これがまた「ぴしっ」としていて「すぱっ」と走る実に感動に満ちた板だった。
しかし、購入から3ヶ月後、野沢温泉で悲劇は起きた。
RSFGP最終戦、最後にスタートした私は濃霧の中に飛び込んでいった。
リーゼンのレースだが、ゲートを通過するタイミングでやっと次のゲートが見えてくるという状況で、
足元すら良く見えず、どこで何が起きても不思議はなかった。
案の定、斜面が落ちて激しく掘れていた溝に頭から飛び込み前転。
後で履いている板を見下ろすとスキーの下に影が!
完全にトップが上がっていたのでした。(涙!)
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ミカエラ・ドルフマイスター(オーストリア)
DORFMEISTER michaela (AUT)
Photo: KiPO PRESS
※2006年引退
SL以外で優勝を争える準オールラウンダーとして活躍。
上記の通り99年のベイル世界選手権表彰台独占の一角を担った後も、
99‐00シーズンは総合2位、01年のサンアントン世界選手権では大回転で金メダルを獲得。
01‐02シーズン種目別でDH2位、SG3位、GS2位と安定した強さを見せつけ晴れて総合1位に輝いた。
さらに03年のサンモリッツ世界選手権ではSGで金メダルに輝いたが、04-05シーズンからアトミックにチェンジしてしまった。
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ラインフリード・ヘルプスト(オーストリア)
HERBST Reinfried(AUT)
Photo: KiPO PRESS
トリノオリンピック男子スラロームで、アルペン大国オーストリアのパワーが爆発。メダルを独占した。
その中で銀メダルを獲得したのは、ブリザードを使うラインフリード・ヘルブストであった。
ブリザードを使う男子選手ががオリンピックの舞台でメダルを獲得するというのは、1988年のペーター・ミューラー以来ではないだろうか。
実に18年ぶりになるのか?
KiPO PRESSの記事よれば、早くから才能は評価されていたが怪我に泣かされ、06シーズンは自費でレース参戦を続けていたという。
その中で成績が出てオリンピック出場が叶い、見事銀メダルに結びついた。
やはりブリザードには感動秘話がよく似合う。
ちなみにトリノのSLでは皆川賢太郎が4位と、50年ぶりとなる日本人オリンピック入賞を果たしている。(湯浅直樹も7位でダブル入賞)
さらに、オリンピック後3月11日に志賀高原焼額山で行われたワールドカップSLで初優勝を果たしている。
トリノのメダルは偶然ではなかったのだ。
さらに07-08シーズンは後半ガルミッシュ、ボルミオで勝利を挙げ、SLランキング3位に入った。
09-10シーズンはシーズン序盤からポイントを重ね、SLチャンピオンとなった。
シーズン中盤は無敵ではないかと思わせるほどの安定感と強さを見せていた。
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2011年2月27日
WCスラローム・バンスコ
(ブルガリア)
Photo: Blizzard Sport GmbH
2月27日、ブルガリアのバンスコで開催のWCスラロームでブリザード使用のマリオ・マットが1位!ヘルプストが2位!
一本目から二人は1位、2位につけそのまま2本目も順位を守ってワンツーフィニッシュを飾った。
それまで、オーストリアチームの技術系チームは不振にあえいでいたが、一転ブリザードを使うベテラン二人の鮮やかな復活劇に沸いた。
かつて2度世界選手権を制したマリオにとっては、ほぼ2年ぶりのWC勝利、ブリザードが表彰台上位を占めるのは’99年ヴェイル世界選手権女子DH以来のことであった。
マリオ・マットはその後3月6日のクラニスカゴラで連勝。さらに最終戦レンツェルハイデでも2位となり、SLランキング3位に入った。これはこのシーズンオーストリアチームの最高順位である。
劇的な復活劇の裏にはブリザードがあった。
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特別企画
ソルトレイク五輪男子SLに
信者がいた!
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このページの主な画像(Photo: KiPO PRESSの表示あるもの)はジャーナリスト木村之与氏に許諾を得てkipo-pressのHPから使用させていただいております。
ブリザード使用選手以外にも豊富な画像、資料が見られる木村氏のホームページ。
過去の記録から最新情報まで、ワールドカップ(オリンピックも)の情報満載!必見!
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