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2002年10月8日
谷川岳から万太郎山を縦走

後編:〜縦走、万太郎山へ

谷川岳山頂(トマの耳)に9時到着。
平標まで行くには計算上8時前後に到達している必要があった。
地図のコースタイムを上回るペースだがどうもそんなに早くはいけないようだ。


今回の行程→地図へ

オジカ沢の頭付近ヤセ尾根

谷川岳をひとまず下ってからは小ピークを越えて、尾根をどんどん進む。


最初の小ピークはいきなり切り立った幅の狭い尾根でかなり通過に気を使う。
画像右手の新潟側から次々と雲が沸き起こって視界を遮る。
山の天気は変わりやすいのだ。


この尾根は画像右手に降った雨は日本海に注ぎ、左手に降った雨は太平洋に注ぐという分水嶺なのだ。
そう思うと妙な感慨が沸いてくるものである。

オジカ沢の頭付近から万太郎山

オジカ沢ノ頭に近付くと次の万太郎山への稜線が見えてくる。
一度かなり下ってから登り返しがある。
かなりキツそうではある。


でも遠くから見ると結構きれいなものだ。

オジカ沢の頭標識

オジカ沢ノ頭には標柱が立っていた。
この時点ではまだ元気。
大体10時頃。

オジカ沢避難小屋

オジカ避難小屋。
巨大なドラム缶のようだが、これも緊急用の山小屋なのだ。
ただし、出入り口のドアが壊れており、内側に石がひっかかっていて中を見ることも出来なかった。
避難用にも使えないかもしれない。


ここからしばらくは楽しい高原尾根歩きといった雰囲気になるが、何しろ時間がないので休憩はすべて10分、行動食を少し食べたら即歩き出すというペースであった。
ここは10時15分に出発。

大障子避難小屋外観

さらに小一時間進むと次の避難小屋がある。
大障子避難小屋である。
この小屋はオジカ沢のものよりもだいぶ大型のカマボコ型で10人くらいは入ることが出来る。


縦走の途中に一泊などというとこの小屋が利用されることが多いようだ。

大障子避難小屋内部

大障子避難小屋の内部。
床はスノコが敷いてあって木製の棚まである。
棚には怪しげなペットボトル、アルミボトル、シュラフなど。
壁の状況からすると少し雨漏りするようだ。


残念なことに、この小屋の周辺には食料品のパッケージらしきごみが散乱していた。
たいした重さにならないのだから持ち帰らねばならない。

万太郎山への登り

さて、大障子の頭をこえたら標高で100Mほど下りいよいよ万太郎山への登りにかかる。
その万太郎山がまた1954Mと谷川岳と同じくらいの高さがある。


登山道は笹や草が生い茂り半分隠れてしまっている。
こんな奥まで来る登山者も少ないのであろうか。
草の下の路面もぬかるんでいたりしてかなり歩きづらい箇所があった。


さらに悪いことにここからパラパラと雨が降り出してきた。
天気予報では午後に少しぱらつく程度と言っていたがこの後ずっと雨に降られることになる。


この時点で12時になり、平標までの縦走は断念。
吾策新道から土樽駅に向かうことにした。
地図上のコースタイムから想定すると遅くとも夕方5時くらいには駅に着けると判断したが、これがとんでもない誤算だったのだ。
そういえばこの頃から左ひざがちくちくと‥

下山道への分岐地点

仙ノ倉山、平標方面と吾策新道、土樽方面との分岐点。
雨が降り止まないのでレインジャケットを着用。
脚にはスパッツをまいた。


万太郎山の本当のピークは100メートルほど離れたところにあり、ザックをおいてさっと往復。
気が付くと午後1時。
土樽発のJR最終電車は午後6時17分なので、まあ余裕だろうという計算。


下山開始は午後1時頃。
ここから決死の下山が始まります。

吾策新道上部ヤセ尾根

下りにかかろうかという時にあろうことか、左ひざに痛みが!
すでに9時間歩きっぱなしできたために関節が耐え切れなくなったのか。


しかしながら歩かねば帰ることは出来ない!
しかも、翌日は仕事だ!どうしても帰らねばならない!


画像中央に小さく見える土樽目指して下り始めたのでした。
どうしても「新道」などと言う名がつくと良く整備された歩きやすい道を連想してしまうのですが(それは私だけ?)
歩き始めてびっくり!
「なんじゃこれは!!」というすごい道でした。

プロジェクトX、田口トモロヲの声で


「教祖は下山を始めたが、道のすさまじさに息を呑んだ。」


「いきなり、崖のような急坂が待ち構えていた。」


「補助にロープの張られた尾根は片側が崩落していた。」


「開けた場所かと思ったら、ステップも何もない土の急斜面だった。」


「一歩下るたびに左ひざに痛みが走った。」


「それでもこらえて下ったが、左ひざをかばおうとストックを強く突いた右ひじに痛みが走った。」


「教祖は泣きそうになった。」




下山は雨のために極端にスリッピーになった登山道に阻まれ、時間だけが過ぎていったのです。
5時には土樽駅についているつもりが、5時近くなっても山道から抜けられない状態。
どんどん日が暮れて暗くなってくるし、樹林帯の中ではどこまで下ってきたのか皆目見えないし、もうかなり危険な感じでした。

土樽駅入り口すでに日没

再び、田口トモロヲの声で


「4時半を過ぎるとあたりは暗くなってきた。」


「汗と雨で眼鏡が曇り、ぬかるんだ路面が見えなくなった。」


「しまいには登山道終点の幻を見るようになった。」




地図によれば登山道を抜けても土樽駅までは徒歩70分とある。
ひざの痛む状況で5時になっても山道から抜けられなかったときは土樽一泊も覚悟したのだ。


やっと山道を抜け出したのは5時15分になっていたのです。




再び、田口トモロヲの声で


「そのとき奇跡が起こった。」


「車道に出ると一気にペースが上がり、地図上のタイムの半分の時間しかかからなかった。」


「ダブルストックで体を前に押し出した。」


「5時50分に土樽駅についた。」


「見事、最終列車に間に合った。」




画像のとおり、土樽駅に着いたときはもう真っ暗でした。

土樽駅内待合室でぐったり

土樽駅で列車を待つ教祖。
もう放心状態です。


ひざの痛みから脚はほとんど動かない状態。
久々に「痛い思い」をしました。


このあと列車で土合駅まで戻って車で帰りましたが、その列車内でのこと。
土樽も土合も無人駅で切符を発券していません。
どうするんだろうと思いつつ列車に乗ると、来ました!車掌さんが。
車内で発券していたのです。
‥が、土樽・土合間¥240に対して、たまたま私は一万円札と40円しかもっていなかったのです。
そのことを告げると、なんとつり銭がない!という返事。
下車するのが有人駅ならそこで清算できますが、土合も無人駅なので
「では結構です。」
ということで240円助かったという顛末でした。


この日の歩行時間は合計約14時間。
ほとんど休みなしでした。
やはり無理は禁物。
山岳荒行もやりすぎは逆効果というところでしょうか。


これからは、一日の行動時間は8時間くらいまでに抑えようと思います。


山岳の荒行は続く(のか?)

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